ヘルマン・ヘッセ 翻訳の謎 Braunschweig その2 | leraのブログ

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ヘルマン・ヘッセ 翻訳の謎 Braunschweig その2

 クヌルプの邦題の話。
 それは自由につけられたと考えられるが「漂泊の魂」(相訳)と「漂泊の人」(芳訳)の「漂泊」は偶然とは思えない。原作を剽窃するならまだしもだが、勝手につけた邦題をコピーするとは何事だろう…

 さて、地名として出てくるブラウンシュバイク(Braunschweig)である。
 クヌルプが旅好きで、しかも遠方まで足を延ばしているというたとえに使われる地名であり珍しく実在する。ニーダーザクセン州(Niedersachsen)の州都ハノーファー(Hannover)の東にある人口30万人ほどの大聖堂で有名な古都である。

 植訳では「ブラウンシュバイクの海岸に達したことがある」となっているが、これがクヌルプの旅を実践しようと思う輩には大問題なのだった。なぜならブラウンシュバイクは内陸部で海岸などなく最も近い海岸までゆうに200キロはあるのである。

 相訳では「ブラウンシュバイクの地方」芳訳「ブラウンシュバイクのあたり」大御所高橋健二訳(以後高訳)「ブラウンシュバイクまで」となっていて「海岸」と表現したのは植訳だけ。

 ここで決定的と思われる文献、日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会が2006年に編んだ『ヘルマン・ヘッセ全集第六巻』を参照した(以後全集)。
 ここでは「ブラウンシュバイクまで」となっていた。ところがこの文献にも問題があり、最初に出てくるLächstettenに対しては「レヒシュタイン」(p.157)と表記されているのである。ところが次には「レヒシュテッテン」(p.160)となっていて、なんで?なのである。

 ドイツ語そのものに問題があるのか?とも思った。
 それはドイツ語は大きく分けて低地ドイツ語、中部ドイツ語、高地ドイツ語と地域語(木下順二にならって方言と言わずに地域語と言う)があり、発音も表記も違う。というよりもっと地域語は多様で、plattdeutsch(平地ドイツ語、北方)、berlinisch(ベルリン)、sächsisch(ザクセン)、thüringisch(チューリンゲン) kölsch(ケルン) hessisch(ヘッセン) schwäbisch(シュヴァーベン) bairisch(ババリア) wienerisch(ウィーン) züri-
tüütsch(チューリッヒ)とあり表記も発音も異なる。

 現在「標準」として使われているのは高地ドイツ語(Hochdeutsch)であるが、地域語は各地で尊重され辞書の編纂も盛んである。これはイタリア同様小国の集まりだったからだ。しかしイタリアではおばあちゃんがロマーニャ(ローマ語)で子どもに話すと若い母親から「そんな言葉使わないで!」と怒られるとあるローマ人から聞いた。真偽のほどはわからない。現在は標準イタリア語が中心。

 フランスもブルトン語、オクシタン語、カタラン語など地域語でバカロレアを受けられる。

 イングランド(対ウェールズ語)や沖縄(対ウチナーグチ)であった「方言札」との関係を考えると興味深い。イングランドのアイルランド支配をテーマとした映画『麦の穂を揺らす風』(ケン・ローチThe Wind That Shakes the Barley2006)では、「反乱」分子として捕えられた抵抗者たちが名前を問われてアイルランド名を言う、結局イングランド名を言わないため射殺されてしまう。これは創氏改名を連想させる。地域語は中央集権や国民国家等政治的な問題につながるのだろう。

 またヘッセが書いたのは100年ほど前なのでその時代的問題もあるのかと思った。
 ローマ字文化圏では話し言葉を記録するところから表記が始まったから、表記と発音が一体化し時間的経過があっても言葉のかい離があまりないという学者がいる。

 反面日本は漢字という輸入ツールを用いたため文言が一致せずほんの少しの時間的経過で言葉そのものが大きくかい離したのだと言う。ただ少なくともヘッセの作品は現代ドイツ語で完全に理解できる。

 そこで原書にあたることにしたが、これがなかなか見つからない。やっと見つけたのはSuhrkamp Verlag(ズールカンプ・フェアラーク)の1970年版である。この出版社はFrankfult am Mainにある。このフランクフルトは「有名な方の」で、ヘッセン州(Hessen)の州都で am Mainはマイン川に面しているという意味である。もうひとつのフランクフルトはBradenburg(ブランデンブルグ)州のFrankfurt an der Oder(オーデル川に面した)でポーランド国境に近い人口6万ほどの「何もない」町であるが、劇作家のハインリヒ・フォン・クライスト (Heinrich von Kleist)の生地として有名である。クライストはシラーと並ぶ位置を占めている。