『太陽がいっぱい』...En attendant 汝(イー) | leraのブログ

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0.はじめにルネ・クレマン監督の映画『太陽がいっぱい』(Plein soleil.1960)を42年振りでスクリーンで観たところから話ははじまる。


驚いた。


知っている映画ではなかった。 オープニングのロールだけは懐かしかった。


まず、アンリ・ドカェのカメラである。こんなすごいカメラだったのか?知らなかった… 特に、トム(アラン・ドロン)がフレディを殺害後、表情を一切変えずにアパートの窓に寄って外を見る。そこでは子どもたちが遊んでいる。もう一度見る、子どもたちが遊んでいる。 素晴らしいシーンだ。


彼にも子ども期があったはずで、それが完全に失われたことを表していた。 それは、常なるトムの表情の描写にある。 彼は常に自信家であり、刹那的であり、宿命を感得している。 それを瞳や表情で捉えるドカェのカメラはすごい。


最後にモンジベロのマルジュのアパートに行ってからのトムとマルジュの瞳のアップも、ずはらしい映像だった。


トムの暗さは出自に対する復讐心であることが分かる。 自信、宿命、野望…言葉で言うにはあまりに切ない。


本、カメラ、俳優、音楽…名作は生まれるべくして生まれるのだ…


マリー・ラフォレの代表作は『国境は燃えている』だと思っていたが…再考しようと決意している。


元々素晴らしい作品であることは認知していたのだが、さらに優れた作品であることが分かったのだ。そして、原作を読みたいと思ったのがコトの始まりである。

1. 原作―文庫
原作者はパトリシア・ハイスミス(PATRICIA HIGHSMITH)である。文庫を探すと河出文庫に佐宗鈴夫訳のものがあった。ところが驚いたことにタイトルは『太陽がいっぱい』なのであった。原題は The Talented Mr. Ripley であるから、映画の題名をそのままタイトルにしてしまったのだ。読んでみて映画のストーリーの方が緻密であることが分かった。無論、映画はその作品をベースにしているので、優劣を問うのはナンセンスである。ところが、その一節に奇妙な文章があり、それにひっかかった。p.322



気がかわった。汝(イー)らに会いたい。到着は午前十一時四十五分。H・グリーンリーフ(略)その「イー」という言葉のせいで、電文もひどく気味悪くて、昔の電報のような気がした。イタリアの電報には、とんでもないミスがよくあるのだ。「H」の代わりに、「R」か「D」となっていたら、どうだろうか?


この「イー」という言い方が気になって調べてみると相応しいものとして thee に行き当たった。なぜなら行間から「古めかしい」表現を用いていると思ったからだ。ところが、そのHをRかDにタイプミスした場合、treeかtdeeになり意味が通じないのだ。この小説は謀殺をテーマにしているので、「気味悪くて」という言い方が気になったので、どうしても「汝(イー)」がどういう単語なのか知りたいと思ったのである。


2. 原作―penguin readers
日本の図書館で洋書を探すのは難しい。 大学の図書館でやっと見つけたものの、例のペンギンリーダースだった。該当の箇所は以下である。p.63





CHANGED MY MIND.WOULD LIKE TO SEE YOU.ARRIVING 11:45 A.M. H.GREENLEAF

なんとYOUなのである。よって気味悪く、「H」の代わりに、「R」か「D」、といった言葉は全くない。




3. 原作―ペーパーバック
そこで探究する思い留まれず、洋書を購入することにした。NORTON社のペーパーバック本である。 該当の箇所は以下である。p.222


CHANGED MY MIND.WOULD LIKE TO SEE YE.ARRIVING 11:45A.M.H.GREENLEAF


である。 それに続く文章は以下である。
That “ye” gave the telegram such a creepy, archaic touch. Generally Italian telegrams had much funnier typographical errors. And what if they’d put “R” or “D” instead of the “H”? How would he be feeling then?


つまり「汝(イー)」はなんと YE だったのだ。
「H」の代わりに、「R」か「D」を入れ替えるなんてできないのだ。
そこで初めて気づいた、ここで言っているHはH.GREENLEAFのHであるということが…そして、入れ替えると R.GREENLEAF もしくはD.GREENLEAF になり、R.GREENLEAFはリチャード・グリーンリーフでD.GREENLEAFはディッキー・グリーンリーフのことだと分った。リチャードはH.GREENLEAFの息子にあたりこの電報の時点ではすでに殺されている。ディッキーはリチャードの愛称である。


4. おしまい
私の「早とちり」である。そしてtheeなどという単語が浮かばなければこんな泥沼に陥らなかったと負け惜しみを吐いて謝罪の言葉にかえる。

En attendant 汝(イー) cf.En attendant Godo