第51回むらた祭 演劇部公演『月並みの女子校生の欲には限界がある~乏しい想像力と貧しい非日常~』
女子高生の「限界ある欲」とは、カレシ、ガクレキ、ヘンサチ、明るいミライだと言う。
そして、努力すれば望むものは獲得できる、あるいは達成されると言われる。
努力の先に自由があるというシステムは時として残酷である。
なぜなら自由は権原であって得るものではないからだ…
また、超男性社会における被抑圧階層であることや、矛盾を皮膚感覚で感じている。だからバックラッシュについて冷めた目で見ているところが哀しい。
「1192いい国作ろう安倍晋三」では、彼のジェンダー感覚を見ぬいているし、「男女共同参画社会」についてもその欺瞞性に気づいているし、「早く結婚しろ」「子どもを産め」などのヤジには揶揄にしか再利用されないし、うんざりしている。
しかし、彼女たちに自由は無い。
その自由は、女性、高校生というタームに縛られるし、前提として「あるだろう自由」にも抑圧される。
非日常が乏しいというアイロニカルな叫びには深い哀しみを感じる。
前回、中央地区大会発表会で観たときは、コントと社会批判をうまく組み込んだ構成力のある等身大のコメディという印象を持った。発表会は半日で7本の演劇を観るというハードスケジュールのため、これだけを観るとしたら印象が変わるのではないかと思ったのだ。
本日の再観劇では彼女たちの哀しみがひしひしと伝わってきた。それこそ等身大という言葉で語ることのできる彼女たちの世代、あるいは環境にいなければ分らない抑圧や矛盾や無言の圧力を知ることになった。
エピローグひとつ前で、5人が無言で立ち尽くすシーンには思わず眼頭が熱くなった。
彼女たちの求めているものは、「自由だ」「自由がある」ではなく、本当の意味の自由なのではないか?
SEの選曲は効率よく歴史の勉強をやっている曲だが、それはブロイラーのような無惨さを感じるし、効率というところですでに利用されていることが分る。
コロスが完全な笑顔で、そのギャップが効果を生んでいた。
5人の役者はそれぞれの特性(地?)をわざとらしくなく出し、たいへん好演していた。
私の「欲」は、彼女たちが世間という抑圧シテスムから脱出し、自由を獲得することだ。
2014年9月28日 むらた祭にて
作:村田女子高等学校演劇部
