京華学園『いのち~ヌチドゥティーチー』2014年中央地区発表会 | leraのブログ

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京華学園『いのち~ヌチドゥティーチー』(作:伊藤弘成顧問)中央地区A日程二日目、

 観られる機会のある人はネタバレがあるので読まないことを強く勧める。

 当学園の演劇部がどれだけ注目されているかは知らない。
 しかし当発表会において、二年前は『ブンナよ、木からおりてこい』(水上勉作伊藤弘成潤色)で環境問題、原発問題に言及したし、昨年は『SAKHALIN(サハリン)』(伊藤弘成作)で、樺太真岡郵便局女子局員集団自決事件を扱い、戦争に翻弄され国家に利用され容易く犠牲になっていく市民を描いた。
 学校演劇の枠組みにはまりきらない当校の演劇の場合、「今年は」という注目が集まるのは必然かもしれない。

 プロローグは女子高放送部の部室から始まる。
 オープンリールのテープレコーダーがあり、レコードプレイヤーがあり、ビートルズのLPアルバムジャケット(A HARD DAY’S NIGHTとPLEASE PLEASE ME)が見える。

 時は1964年、東京オリンピックに沸いている。
 その開会式や競技の模様が音声で流される。
 放送部員たちは、それを「日本の栄光」と感じる。そして日本を栄光の国と思いそれを題材とした放送劇を作ろうとする。日本の栄光とは、戦争体験者であるとし、部員の母親が沖縄の戦争体験者だと知ると、話をきいて参考にしようとする。

 東京オリンピック。
 あのイベントで浮かれた理由は何だったのだろう?
 まず色々なところで日の丸を見ることになったし、競技を応援するときの国名の言い方(ニホンではなくニッポン)も指示された記憶があるし、聖火が通る都市をステップにしたクイズ番組があったし、アベベ(エチオピアのマラソン優勝者)に裸足で走ってもらいたくて道路(甲州街道)を清掃する人が毎日のようにいたり、学校では授業そっちのけで競技のテレビ放送を見たし、学習塾では各国の国旗を覚えさせられたし、校長は朝礼で外国からのお客様に丁寧に接するようにと訓示した。異常な熱狂だった。

先進国、つまり欧米諸国の市民を招待できる国になったことなのだろうか?一等国という言い方も記憶しているし、そして高度成長のトバ口だったらしい。

 あの時、東京という都市が大変貌を遂げた。
 新幹線が通り、モノレールが通り、突貫工事で高速道路を作り、多くの人々が移住させられた。小屋掛けして住んでいた人々の住居も気がつくとなくなっていた。

 昭和天皇が開会宣言をしたとき、沖縄は米統治下であり日本ではなかった。しかし、聖火は沖縄を通った。沖縄、あるいは琉球弧の人々は聖火をどのような目で見ていたのだろう。また、唐突に日本国籍を失った朝鮮半島出身の人々あるいはその子どもたちもどんな気持で見ていたのだろう?
 あの当時報道されたのだろうか?

 高度成長のエンジンとなったのは朝鮮戦争であったし、あの60年安保からたったの4年しかたっていないのだ。しかもトンキン湾事件は64年8月である。
 太平洋戦争の戦中戦後における矛盾の隠蔽に寄与したのではないか?
 そして、人々は日の丸を振ってもいいことを、ニッポンニッポンと連呼をしてもいいことを知り、その肯定感に酔ったのではないだろうか?単純に「いやなことを忘れる」立場にいられる人たちの熱狂ではなかったか…

 あの東京オリンピックで見たものは幻想ではなかったのか?
「世界はひとつ」というスローガンの意味を問う声ですらなかったと思う。

 ひめゆり部隊だった放送部員の母親は、初めて真実を語ろうとする。
 そしてガマでの出来事を話していく。
 それが話題になり新聞に掲載される。
 すると同じガマにいて生き残ったひめゆり部隊員だった女性が訪ねてくる。彼女は母親に「ある理由」を聞きたいと言う。
 その理由とは…

 学校演劇、学生演劇というところから全く離れて舞台に見入ってしまった。
 東京オリンピックと沖縄という対比が、自らの痛みを伴う体験と相俟ってまた違う心象風景を作り出していた。あれは不都合なものを切り捨てた熱狂ではなかったのか、と…

 いつもながら、SE、装置、衣装、小道具、場転、照明、化粧どれも素晴らしい。ひめゆり部隊の衣装以外に、64年当時の母親たちの服装もリアルだった。
 テンポの速い群像劇として、個々の気持がぶつかるような迫力があった。

 舞台の背景には真っ白い太陽があり、それがガマにいた彼女たちが見たかったものだと思うと胸に迫るものがあった。
 また、太陽が後の万博のシンボルであったことも皮肉に感じた。
 昨年の『SAKHALIN(サハリン)』同様同世代の女性たちが演じることにも大変意味がある。なぜなら現在でも地球のどこかに普遍的にある悲劇だからだ。

講評
 圧巻、稽古量見え美しく思った。オリンピックの演出がポップで合っていた。人の死なない西部劇を提示し戦争カッコいいなど、45年と64年の書き分けはもっと強くていい。太陽のオブジェ効果的。テンポ速い。身体に落ちた美しさがある。戦争の語り継ぎがないため、今の時代に繋がるものが欲しい。(ストーリーは)世代間に終始したが、もうひとつ自分たちの世代に繋がるものが欲しい。すると今見る作品となる。
 見事。素直にひきつけられた。演劇は(文学などと違って)モノが残らないから客の心の中に残る。どう残ったかが大事。聖火のシーンを楽しく、次は人間を焼く火など火の価値の変遷が上手。放送部が流すパッヘルベルのカノンが繰り返されうまい。ひめゆりをナデシコジャパンに思ったのは自分がナショナリズムにとらわれているからか? 多くの死を思わせ、ヘルメットを並べたシーンがいい。初演が99年というが、次の東京オリンピックがあるので今の方がいい。集団的自衛権が愚かなことを(観客に)勝手に連想させる。今だからふくらみがあるのでは?演技力、体のキレ、声を生かしている。(しかしそれらは)放送部と戦時中と緊張度に差があるほうがいい。(放送劇台本)紙をめくってすぐ母の記憶となるのは速すぎる。リアリティーがなくなってしまいう。文章で思いだすのはやや弱いか?音や音楽の方がいいかも。ビートルズで(ある時代を)思い出す人もいるので、その工夫があったらと思った。

備考
 当劇は京華学園文化祭である京華祭で観られると思う。
 京華祭は10月25日、26日。詳しくは同校HPにて。