西方紀行…ゲーム紀行 3 | leraのブログ

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鶴橋へ

 あくる朝7時に起き、シャワーを浴びたり荷物の整理をしたりして宿舎をチェックアウトした。名古屋で買ったゲームや衣類をコンビニから宅急便で送ろうと思ったものの、コンビニが見つからない。考えてみれば梅田新道から大阪駅に向かっているのであって、東京でいったら八重洲から東京駅に向かっているようなものである。コンビニは確かに少ないだろう。

 大きい荷物を持ったまま大阪駅まで来てしまい、大阪駅に隣接している大阪ターミナルホテルのベルキャプテンにコンビニの場所を聞こうと思ったら、このホテルで送ってくれるという。そのベルキャプテンは女性だが、私の荷物をクロ一クまで持っていってくれた。

ところが、発送伝票に部屋番号かバンケットルーム番号を書き込む所があり、宿泊客か宴会客ではないと本来送れないらしいのだ。それを確認しないで私の荷物を持ってきてしまったベルキャプテンは困ってしまったが、クロ一クの女性が「宴会」とバンケットルーム番号を書かないでなんとかしてくれた。まあ、聞かないベルキャプテンにも問題はあるが、いろんな所で人に迷惑かける男だな、と思わず笑ってしまった。

麻雀放浪記のドサ健はおふくろと好きになった女にはどんなに迷惑かけてもいい、と言っていたが…

 そのホテルのロビーから、昨日松屋町の問屋さんで聞いた室内ゲームの専門店である西野商店に電話をかけると、おばあちゃんが出て土曜は休みだと言う。しかし、小売りしてくれるという言葉を聞いて電話を切った。よっぽど土日と泊まって月曜日に行こうかと思ったがさすが思い留まった。私にも良識があったようだ。

 JR大阪駅から環状線に乗り鶴橋へ行った。
ここは去年の8月に三重県一志町の「松浦武四郎記念館」に行った時に、時間が無くて立ち寄れなかった経緯がある。ここには「猪飼野」という日本最大のコリアタウンがある。先にも述べたが「猪飼野」という地名は消されてしまったが…そしてJRと近鉄奈良線の交差するガードの下に何百軒という店舗を抱えるマーケットを形成している。「鶴橋卸売市場」あるいは「鶴橋商店街」と現在では呼ばれていて、生鮮食糧品、衣料品、雑貨屋、飲食店で充満している。ここでなければ手に入らない物も多い。

 このマーケットにチャンギ(韓国・朝鮮将棋)を売っている店があり、昨年O氏も堺市在位のU氏の紹介で訪れ「ユンノリ」を購入している。その店について東京を発つ前にO氏に聞いた時「ガード下のメリケン商会」と教えてもらった。しかし彼は「絶対見つけられないでしょうからUさんに聞いた方がいいですよ。」と助言を与えてくれたが、その日の午後に遊戯史学会でU氏にお会いするので、逆に連絡がとりにく かった。

 O氏が言ったように、そこは迷路につぐ迷路で、同じ道ですらなかなか通れないといった、アメ横に二重にも三重にも輪をかけたような空間であった。ある雑貨屋が目に入った。そこの店頭では銀食器や人参酒、螺鈿の家具などがあり、遊戯具類は見えなかった。
しかし、探していた店がそこだった。

店名は「神戸商会」といい、そこでチャンギの駒と盤、それにペンニ(コマ)を買った。また、U氏から頼まれているコペル(韓国朝鮮ドミノ)が入らない、など世間話をし名刺を交換した。スッキョンドノリ(官位すごろく)の事を聞いたら、逆にどんなものか教えてほしいと言われた。

 それから食事をしようと思った。
「猪飼野」でホルモンを食べたいと思っていたのだ。
観光ガイドに載っている有名店ではなく、小さな店で食べたいと思ったものの、土曜の午前中では開いてる店が少なく、結局最も有名な「鶴一」の支店に入った。本店は古い店で炭火で食べさせる。だから煙モウモウの中で食べるのだが、支店も炭火ではあるものの例の「無煙ロ一スター」で店内はカフェ・バーのような内装で、お店の人もファッショナブルな制服を着た若い女性ばかりで、「しまった」と思いながらも案内されるままに席に着いた。

 生ビールを呑みながらミノとタンを食べたのだが、ミノは2センチほどもある厚切りであるにも関わらずザックリと食べられ、びっくりする位のウマさだった。アルコール類は「普通」で農酒や法酒やマッコリもなく、こちらの店がそうなのかこの席がそうなのかはわからなかったが、少々残念だった。違法ではあるが「自家製」のマッカリが呑めるのでは、と期待を持っていたのだ。

 鞄から先ほど神戸商会で買ったペンニ(コマ)を出し、袋の所に書いてあるハングルをどう読むのか店の女性に聞いた。これは元々の計画で、それをきっかけに「遊び」の話などを聞きたいと思っていたからだ。所がその女性はハングルが分からず、他の女性も分からず、一人の年長の女性が「ちょっと聞いてきます」と行って厨房の方へ行った。見事に私の期待は裏切られた。

 ずいぶんと時間が経った後に、その女性は厨房の人がメモしてくれた紙を持ってきてくれた。それには「ミンソク・ペンニ」と書かれてあり、意味は民俗独楽という事だった。この独楽はべーごまの原形とも言えるコマで、紐をかけて回した後に、紐でコマの胴を叩き回転が遅くならないようにするのである。「やり方は知っていますか?」と聞かれたが、実際に知っていたので「知っています」と答えたが、実際には他の話が聞きたかった。厨房に入れれば聞けたであろう…

 食事を終え、もうひとつの目的である「ソウル書林」へ行った。そこは韓国朝鮮出版物の専門店である。朝鮮半島の被差別民衆「白丁」(ペクチョン)、あるいは彼らの解放運動の中心となった「衡平運動」に関する書物を探しに行ったのだ。

 「衡平運動」は日本の水平社とも連帯したあるいは先導した大きな運動だったのだが、日韓併合、大東亜戦争という激しい歴史のうねりの中で消滅してしまった。また、私の知る限りの韓国の人に聞いても知らないと言う。しかしソウルオリンピックの時に「町の美化」を理由に不法建築の粗末な住宅を強制撤去した事があったが、それが関連しているのではと思ったものである。

 残念ながら目的の書物は見つからなかった。(ハングルの物はあったのかもしれないが…)しかし、子供の遊びを紹介したパンフレットがありそれを購入した。そこにはチャンギやユンノリやペンニなどが紹介されていた。その他に同胞向けの法律雑誌を2冊買った。再入国問題や参政権問題を扱った啓蒙雑誌である。

 再入国問題と言うのは、日本に住居を有する外国籍の人が外国に「出た」場合、再度日本に入国できる保証がなく、「再入国許可」を得てから出国せねばならない。ところがその許可を取るには時間がかかり、その許可を得ないで出国する場合は時によっては「帰国」できない場合がある。

現にアメリカの音楽大学に留学した在日の女性が再入国許可を得られず裁判になっている。再入国許可を待っていたのでは「入学許可」が消えてしまうために出国したのだ。また、指紋押捺しなかった人に許可しないなど、圧力のツールになってもいる。

遊戯史学会

 その後鶴橋から近鉄奈良線で河内小阪駅へ向かう。
本来の目的である日本遊戯史学会に参加する為である。
会場は大阪商業大学の大会議室。この会議室は実に立派で大きな円卓テーブルが二重にあり、各ブースに同時通訳用の装置も付いている。なんでも入試漏洩事件があった時、ここで記者会見をしたため会議室の立派さだけが有名になってしまった、という事であった。シックなグレイのスーツの制服を着た女性秘書二人がケーキとコーヒーをサービスしてくれる。

 年に2回開かれる学会は会員の多くが関西在住であることもあって、近磯地方で開かれる事が多い。今回のテーマは「関西の暴力団による賭博の現状」である。客演講師は大阪府警刑事課暴力班の課長で、現場からの貴重な話が聞けるのである。しかし、その性質上部外者お断り、写真撮影・録音厳禁、また他言する事も規制された。よってここでも述べる事はできない。

 話は現在の暴力団の実体と賭博の状況、それに本引き賭博(サイと手)の実際だったが、本当に貴重な話が聞けた。また、押収品の数々も見せてもらった。これだけのために東京から参加したK氏、T氏も満足のようすだった。講師は最後のしめくくりにこう言うった。  「研究熱心がこうじて賭場に入ったら困ります」

 また、遊戯史研究の先駆者増川宏一先生や花札研究やギャンブル社会学という学問を専攻している学者たち、その他同好の士が集まり午後2時から5時までの講演と5時半から7時半までの懇親会があっという間に終わってしまった。

 懇親会ではコレクターであり将棋の研究家(世界中の将棋を集めていて、最近もハワイの将棋の情報を得た、とおっしゃっていた。)であるU氏の「古物探し」の話に魅せられた。彼は関西地区の「蚤の市」を丹念にまわって研究者にも誇れるコレクションをなした訳だが、先日も「むべ山かるた」が1000円であるのを発見したと言う。ところが「売約済」の札がかかっていて、売っている人が買った人をどうしても教えてくれなかった。ただ、百人一首が好きなおばあちゃんが額装するのに買ったという事だった。彼がいくら粘ってもその「買い手」は現われず、結局「むべ山」は行方知らずになったと言う。

ところが話はそれで終わらず、あそこで明治時代の軍人将棋(本部が本丸になっているという)を500円で買ったとか、特殊な花牌の入った象牙の麻雀牌を2000円で買ったとか(花牌はだいたい20種くらいある)、大正時代の「八八道具」を1000円で買ったとか…全て素人が売りに出す「蚤の市」である。古書の出方も聞いたが、東京とは比べものにならないのだ。またまた歴史の違いを実感させられた。それだから尚更震災の被害は悔やまれるのである。

 また、ドイツから帰っできたばかりの氏にドイツのゲーム事情を聞いた。
ドイツで優秀なボードゲームが多数出されるのは、冬が寒く、テレビがつまらなく(官営放送しかない)、任天堂(テレビゲーム)がまだ普及してない、という理由だった。ドイツのボードゲームが衰退するのも時間の問題との事だった。

 九州の大牟田の三井かるた記念館から来た学芸員の人に美しいパンフレットをもらったし、松田道弘氏ともお会いできた。

 終了後U氏の自宅に誘われたのだが、そうするともう一泊せざるを得ず、いたしかたなくお断りした。

 翌日の昼には東京ゲームサークルを開けでなければならないT氏と、まだ切符を持っていないK氏と、切符をすでに持っている私とで新大阪へ向かったが、それぞれの状況が違うので結局ばらばらに帰る事になった。

 私はなんとか午後8時40分発の自由席のある最終に乗れた。

 非常にめまぐるしく、よく歩いたこの二日間はたいへん充実していた。大阪という町がそうさせたのかもしれない…私は大阪が好きである。いつでもすぐに新聞を引いて座ったらそこの風景に溶け込めそうな町であり、どこにでも歴史を感じさせるものがあるからだ。  

旅は歩くものだとしみじみ思った。
歩いたから風にあたり、空気に触れ、町に入れた。
ひょっとしたら大変賛沢な旅かもしれないが…

私は若い時にした旅を思い出した。
それは今から思えば実に貴重な「旅」だったのだ。
今回のスケジュールのつまった旅などではなく、ただ歩くための旅ができた。目的地に行くのではなく、歩くのが目的だった旅だった。それはもうできないだろう…