堀切への旅 その2 関屋、堀切、お花茶屋 過去ログ転載 | leraのブログ

leraのブログ

自らの文章のアーカイブと考えている

horikiri03


堀切への旅 その2 関屋、堀切、お花茶屋 2011.1

小学校三年の始業式から日記をつけだした。きっかけは立派な日記帳を親戚からもらったからだ。
 日記を読み返して面白く思うものは、女性に対する気持ちだ。

 当時、とても好きな女性の事を書いてあるのだが、好きなるが故に氏名など書いていない。それが今になると誰だか分からない。
 「明日、会えるかもしれない…、彼女の別れの時の微笑みがそれを保証している」  などと、書きながら今となってはそれが誰だか全く分からない。

 「君に寄せて」などと歯が浮くような韻文まで書いているのにである。

 エロースなどそんなものなのだ。

 堀切に毎晩のように送っていった女性は、いま苗字が思い出せない。名前もうろ覚えである。教育系の学校に熱心に通っていたので、今では先生なのだと思う。
 一度手紙も貰ったことがあるし、八重洲の店で呑んだこともある。

 散文にあった「つくりかけの高速道路」とは「首都高速6号向島線」のようである。それは1982年に完成したとある。ならば私が毎晩のようにそこを通ったのは、1970年代末だろう。

 だがそれきり。
 何もなく、思いを告げることもなく…と、言うより「思い」があったのか?と今では思う。恋している自分が好きだったのではないか、とも思う。
 しかし会話の楽しさは覚えている。学校のこと、アルバイトのこと、生徒会のこと、波乗りのこと、などなどだ。

*****  顔だけがはっきりと思いだせる。もしお心当たりの方がいらっしゃったらメッセージ下さい。私はある国家資格の受験生で「アーノルド」でアルバイトしていました。八重洲にあった店は「秋桜(コスモス)」です。 *****

 さて、堀切菖蒲園に行く京成電車には、日暮里から乗った。
 成田空港へ行く線が出来たせいか、日暮里駅が様変わりしていたので驚いた。

 日暮里にはお墓詣りに行くのみだったので、改札が寂しいという印象が強かったのだ。

 関屋の次が堀切菖蒲園で、その次がお花茶屋である。関屋、堀切菖蒲園、お花茶屋…なんとも雅な駅名が並ぶ。

 「堀切」とは堀を掘って(切って)水路を作ることである。
 この地名は室町時代の古文書にも記載されているという。


冬の菖蒲

horikiri06



 堀切菖蒲園の場所を調べずに行ったのは、堀切菖蒲園駅を降りれば自然に分かると思っていたからだ。

 まず、駅内に表示がなかった。改札周辺に案内もない。歩道にある地図にも載っていない。やや困惑した。

 改札を背にして左手の道に入り、少し歩くと古書の「青木書店」があった。ここは古書店としては著名な店である。なかに入ったが確かに品ぞろえはいい。

 そこから偶然天租神社の前に出たのだが、どうも広いところがないように見えたので、表通りにでた。

 すると、通りの向こうに幟が見える。
 国技館や新橋演舞場でよく見かける幟である。

 横断歩道を渡り、その幟を見に行くとそこに「堀切菖蒲園こちら」の表示板があった。なんと300メートル先だと言う。私が勝手に駅前かと思っていたのがいけなかったのだ。

 かつて水路だったと思わせる湾曲した住宅街の中を道をしばらく歩くと、想像よりはるかにこじんまりした堀切菖蒲園があった。

horikiri05


花札の五月が「菖蒲」である。
 花札に和歌の入っているものがあり、その和歌は在原業平の「からこもろ、きつつなれにし…」で「かきつばた」なのである。
 菖蒲、カキツバタ、あやめ、この三種は全くことなる。
 また、花札の遊びで「あやめかつぎ」というものもあり、花札会では混乱している(笑)。

 人のいない夕闇に包まれようとしている冬の菖蒲園はなかなかいいものだった。  寒桜が小さな花を付けていたり、冬囲いされた牡丹のつぼみが開きかけたりしていた。
horikiri04