世界と日本のアニメーション 過去ログ転載 | leraのブログ

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世界と日本のアニメーション 2003.5.25-6.19

 アニメーション作品に積極性を見せているラピュタの企画である。

 歴史上のアニメーションをプロの人々が人気投票をし、150位まで決めその中の67作品を上映した。

 中には商業的アニメーションもあり、いわゆるテレビアニメも含まれている。

 私が見られたのはヤン・シュヴァンクマイエルの「アリス」とユーリ・ノルシュテインの作品である。ノルシュテインの作品が多く上位に入っており、その中で「霧につつまれたハリネズミ」は1位となり、「話の話」は2位、「あおさぎと鶴」は52位、「狐と兎」は70位であった。ちなみに「アリス」は95位である。

 なにも私がここでノルシュテインの作品群を評価評論する必要はない。実に美しく優しく詩的である。「話の話」は動物とヒトが一緒に生活する空間が文明や「進化」によって変化変貌していき、戦争の影に覆われる。反戦の強い主張が感じられる作品である。動物や人々は「こちら」を向いているが、去っていく(失われていく)兵士達は同じ服を着て背中しか見せない。犬(狼?)は淡々と自分の世界で生きていく。

 「霧につつまれたハリネズミ」のハリネズミはコグマに出逢う中で色々の「体験」をする。それが実に詩的に描かれる。

 「あおさぎと鶴」「狐と兎」はとにかく製作の巧みさに驚く。

 さて、シュヴァンクマイエルの「アリス」だが、これは別の意味で驚きがある。シュヴァンクマイエルの他の作品を知っている人ならご存知だろうが、一言で言うと「グロテスク」である。そして対象が「不明」なのである。ノルシュテインの作品だったら顔をほころばせる人たち(対象)が思い浮かぶが、「アリス」にはそれが全くないのだ。ある意味では少女趣味者向けということも言えると思う。しかしそれが全てではない。ぬいぐるみの兎が腹からこぼれるオガ屑を補給する目的でオガ屑を食べたり、木の人形(帽子屋)が背中の空洞に何度もこぼしつつも紅茶を飲む、といったグロテスクさである。しかもそれが執拗に繰り返される。

 そして、けして退屈ではない。逆にアニメーションの可能性を示してくれていると思う。

 アニメーションが商業的に成功する可能性は非常に低い。「アリス」は3年かかっているし、「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」(ティム・バートン)は10年かかったし、ノルシュテインの新作は20年経ても完成を見ていない。

 だからアニメーションに光を与える事は重要である。それはアニメーションには「夢」があるからである。

 「話の話」の反戦の主張も、「ある街角の物語」(手塚治虫)の反戦主張にも「夢」が残されていたと思う。それは紛れも無くアニメーションの力なのだ。

 「霧につつまれたハリネズミ」の花火、「話の話」のカラスとリンゴを食べる少年や縄跳びの縄を回す牛、それらは私たちの心に永遠に残る。その「甘さ」がアニメーションの「夢」であり、アニメーションの持つ「力」なのだ。

2003.6.12