ジャズ喫茶の意義現在もそうだと思いますが、いつの時代でもレコード(現在では音源が多種ありますが、ここではレコードに統一します)は高いものでした。その上、輸入盤は入手しにくさもありました。(かつて新宿にマルミという輸入レコード専門店がありました)ですから、購入ガイドとして新譜がいち早く聴けるジャズ喫茶はたいへん貴重な存在でした。
それより価値があった事は、古いレコードが聴けた事です。
ジャズはある意味で過去を遡及する表現芸術です。ファンになったアーティストが影響を受けた人を聴いてみたくなるのが心理です。マイルスがビックス・バイダーベックの影響を受けたと言っても、ビックスのレコードは手に入らない訳です。しかし、ジャズ喫茶だとそれが聴けるのです。 また、たまたま聴いたレコードで気になった人の他のレコードを聴いたり、好みのアーティストのサイドメンがリーダーとなっているレコードを聴いたりできるわけです。
これらの行為をジャズ喫茶以外で体験しようとすると、ジャズレコードの豊富な図書館だけでしょう。しかし、図書館でもできない事があります。それはアーティストとの邂逅です。 ジャズ喫茶に入りリクエストを待つ間、あるいはリクエストをしないで座っている間、その全てがジャズとの、あるいはジャズプレイヤーとの邂逅の時間です。さらに ジャケットを手に取り録音された日付を知ったり、サイドメンを知ったりし、「歴史」とも邂逅するわけです。 コーヒー1杯の費用でジャズの歴史の1ページと出会えるのです。これがジャズ喫茶の意義です。

さらに過激に言うなら、「思想」に出会う事です。 ジャズアーティストの中には政治的な発言をする人が少なくありませんでした。チャーリー・ミンガスは人種差別的な発言をした政治家をテーマに曲を作っていますし、マックス・ローチの WE INSIST のジャケットは公民権運動の時のシット・イン運動の光景です。ニューポートジャズフェスティバルが暴動で中止になったこともあります。
その出会いはジャズ喫茶の中にある書物でさらに深くなる場合があります。ジャズ喫茶には当然ジャズに関係した書物があります。それは音楽や合「州」国やアフリカンアメリカンに関する書物です。 私はそれらでアメリカンネイティブを知り、公民権運動を知り、マーティン・ルーサー・キングやマルコムXのスピーチを知ったのです。ジョン・コルトレーンにキング師に捧げた曲があるのを知り、それを聴いたのもジャズ喫茶でした。
それらの邂逅はジャズとのさらに深い関係を形成していきます。 アフリカンアメリカンの戦死率が高かったヴェトナム戦争の慰問に行ったルイ・アームストロングが兵士を前にして「イッツ・ワンダフル・ディ」を歌いました。それは多くのジャズファンにとって忘れられない光景となったのではないでしょうか?
ジャズ喫茶は「学校」であったような気がします。
