あるジャズ喫茶オーナーの肖像 その1
ジョン・コルトレーンが来日したのは1966年夏だった。
コルトレーンを「呼ん」だのは本多徳太郎氏で、神戸新聞社がバックアップした。その「興業」は結果的に大赤字になり、神戸新聞の担当者が責任をとったりした。東京のサンケイホールでは定員1800人のところ800人しか入らなかったし、京都では2、300人長崎では250人だった。今では信じられない話である。
当時日本では来日時の記者会見で、1、2曲披露する「習慣」があり、コルトレーンもそれに従ったが、彼のことであるなんと50分吹いたという。(羽田飛行場なのでピアノもドラムスもない) それからコルトレーンは2週間にわたって日本各地で公演することになる。
コルトレーンの来日が決定した時にひとりの青年がマネージメントをしていた事務所にやって来て、こう言った。
「自分で旅費や費用を全部負担するのでバンドボーイをさせてほしい」
これが彼の話の始まりである。
あるジャズ喫茶オーナーの肖像 その2
その少年(その時彼は高校生だった)の名を仮にJとしておこう。(ほんとはもうわかっちゃっていますが)
彼はそのためにアルバイトをして貯金していた。そして少しでも旅費をうかすために知人や親戚のところに泊まる算段をつけていた。ところがコルトレーンと同じホテルに泊まり続けてしまった。 よってツアーの半分ほどの大阪で旅費が尽きてしまった。
彼はコルトレーンに別れの挨拶をしに行った。コルトレーンはツアーの同行者で司会も兼ねていた斉藤延之助氏にこう行った。 「いくらぐらいあればJは一緒に来られるのか?」 斉藤氏は3万円と言い、コルトレーンは3万円を斉藤氏に手渡しながらこう言った。 「私が出したと言わないでほしい、会社で残りを負担したと言っておいてほしい…」
斉藤氏の回想談 「ジャズメンはあまり金持ちではないですよね。コルトレーンは持っていたのかもしれないれど、その当時の3万円というお金は大金です。僕は感激してしまって、隠しておけなくなって、彼に話してしまいましたが…」
いつジャズ喫茶オーナーの話になるか…
あるジャズ喫茶オーナーの肖像 その3
その時のコルトレーンの来日スケジュールは以下のように過密であった。
7月10日 東京 サンケイホール
11日 東京 サンケイホール
12日 大阪 フェスティバルホール
13日 広島 市公会堂
14日 長崎 市公会堂
15日 福岡 市民会館
16日 京都 京都会館
大阪 松竹座(真夜中のジャズコンサート)
17日 神戸 神戸国際会館
18日 東京 厚生年金
19日 東京 厚生年金
20日 大阪 フェスティバルホール
21日 静岡 市公会堂
22日 東京 厚生年金
23日 名古屋 愛知文化講堂
24日 帰国
Jは昼は船荷の積み下ろし、夜はジャズ喫茶のアルバイトをして、3ケ月で10万円を貯めたと言う。その資金で東京公演のすべてのチケットを買った。しかし、彼は全ての公演を体験したいと思ったのだった。