心中天網島
艶気婚
元々「心中立て」は衆道からおこったとされているが、男女の心中は1600年代から1700年代にかけて大変増加する。その原因を田中優子は「急激に貨幣経済が浸透したため」と言う。また、江戸時代の結婚が「生活のため」のものが多かったことも一因かもしれない。
江戸時代、現在で言う恋愛結婚を「艶気婚」と書き「うわきこん」と言った。恋愛することは「うわき」なのである。恋愛と現実生活の結婚を別に考えていたとも言える。ただその状況が現在と置きかえられないのは、「銘銘稼ぎ」あるいは「銘銘過ぎ」と言って家計そのものが夫婦で別々だったからだ。
また、「敷金」と言った持参金や、持参道具類は、あくまで妻のもので、離婚するときはすべて返さねばならない。しかも(苗字がある場合)別姓である。子ども達は地域で育ち、「血」(笑)を重んじないから、処女性も問われないし、父親を問うという「風習」もなかったし、里子・養子縁組は頻繁に行われた。
あくまで資産のある商家の話だが、持参金目当てや生活目当てで結婚することはけして珍しいことではなかったし、それを双方が企図するから結婚・離婚が繰り返された。さらに商売としての「仲人業」もたいへん盛んになった。長男家督相続もなかったし、女房・主婦の地位は一家の柱として大事な役目をもっていた。
だから明治以降の婚姻という法律行為が多くの人を苦しめているのを見ると、なんとも救われない気持になる。結婚も、恋愛ももっと自由だったからだ。
田中が心中の原因の多くを「急激に貨幣経済が浸透したため」としたのは言い得ているし、近松門左衛門の町人を題材にした心中物で金銭の絡まないものはない。
しかし井原西鶴と近松との微妙な差を井上清が「日本女性史」(三一書房)の中でこう指摘している。
「恋愛がわりあい自由に考えられていたことは、西鶴の好色物をみてもわかる。それが西鶴より少しおくれた近松になると、西鶴と同じ題材をあつかっても、西鶴ならあっさり「恋」あるいは「好色」とするところを、近松は「不義」としてその不義が義理すなわち封建的な掟と衝突して悲劇になる。これは二人の作者の個性または(近松が武家出身という)階級性による見方の違いであるばかりでなしに、現実社会の二つの歴史的な面をそれぞれに反映している。」
また、近松の描く心中についてこう述べる。
義理と人情の矛盾は近松が好んでとりあげた題材であるが、その解決ならぬ解決として、近松は愛人たちに情死させる。遊女と町人の情死はたいてい男が金にまつわるところからおこるが、「万年草」や「生玉心中」は親の強制する結婚に反対するところから情死にいたる。
「長女女腹切り」でも「親の許さぬ恋」をせめられて死ぬ。あるいは人妻が「不義」をするつもりはなくとも外部の偶然の事情で「不義」と認められても言い訳に困難な局面におかれ、結局情死、または情死同然の死に方をする。そこには解放された情の喜びはなく情が敗北してゆく姿がかかれている。
情は敗北するのか…
生まれてくるもの
話しを元に戻そう。
今から40年ぐらい前に、現在の有楽町マリオンのところに「日劇」(「にちげき」と言って日本劇場のこと)という大きな劇場があり、その地下に「日劇文化」というミニシアターがあった。そこはATG(アートシアターギルド)系映画作品の上映館であった。
ATGは1960年代から1980年代にかけて、良質のアート系映画を年会費を払って割安の価格で観せようというひとつのムーブメントだったのだ。丁度、学生運動、ベトナム反戦運動、自主演劇などの高揚からたいへん多くの観客を集めた。
私がそこで「心中天網島」を観たのは中学3年の時だった。
その映像美に魅せられ、(入替制などというものはなかったので)続けて二度観た。無論映画の映像美に魅せられたのだが、監督ではなく岩下志麻のファンになってしまい、その後も「婉という女」「はなれゴゼおりん」「鑓の権三」などを観て、ますますその魅力に引きこまれた。
今回神保町シアターで当作品が上映され、待ちきれなくて一番最初の回に観に行った。
心中天網島のひとつの面は、妻おさんの愛情である。
夫治兵衛を死なせたくないという「愛情」である。
遊女小春と深い中になると心中するという確信があり、それを防ぎたい一心で小春に手紙を送る。
小春はそれに応え、愛想尽かしを演じる。
ところが今度は小春が身請けされると聞く。
おさんは今度は小春が死ぬと確信する。
そして、その死を防がねばならないと思うのである。
商売上の金銭、そして自分が持ってきた持参金や着物などのありったけをかき出し、夫に小春を身請けしろと言う。 しかしその先が見えないのである。
田中優子はそこが好きだと言う。
「人間であろうとすると妻ではなくなり、財産も豊かな生活も失う。財産も妻の座も何もかも自分のものを守りとおそうとすると、人間でなくなる」
そして、おさんは愛する人がいる故幸せだと言う。(集英社新書「江戸の恋」p.148)
結局誰も義理を通せない。おさんにしても実家への義理を通せない。
「アア悲しやこの人を殺しては。女同士(どし)の義理立たぬ」(岩波『近松浄瑠璃集上』p.374)と小春は女同士の義理を通せない。
治兵衛は夫として「子までなした二人が中に、なんのそなたが憎かろう」という妻おさんへの義理が通せない。またおさんが従姉妹であるため兄弟・眷属への義理も果たせない。
そして愛する子への義理も果たせない。
今回の再映で驚いたのは粟津潔の美術である。
40年以上前に観た時は美術を観る余裕がなかったのだ。今回はその美術の凄さに圧倒された。そして武満徹(脚本にも参加している)の音楽。こんな凄い映画があったのだと思う感慨は、郷愁とともにあまりに切ない。また岩下志麻の美しさ、特におさんを演じているときの美しさは凄惨ささえ感じる美しさである。
小春は死にゆくなかで何度も「今度生まれてくるときは、遊女だけには生まれまい」と言う。
遊女は「生まれてくるもの」なのだ。 2009年03月17日2009年03月16日
