愛を読むひと
ゲッペルスは非識字率の高い国で最も効果のある宣伝は映画だとし、プロパガンダ映画を量産した。日本の軍部もそれを模倣し「日本ニュース」というニュース映画を量産する。
ベルサイユ条約の賠償金で疲弊したドイツは、大量の失業者の出現と猛烈なインフレに見舞われるが、その中で求めた職がSSだった場合、それは何を意味するだろう。しかも二重のハンディを負っている者として。
二重のハンディのひとつは女ということであり、もうひとつはこの映画の大きなテーマになっているものである。
それは階層を表現しているのかもしれないし、不運を代弁しているのかもしれない。
その中で戦争犯罪はどう問われるのか?
その女は多くの死に関わっている。その死は、「つくられた死」に他ならない。
「死は本来(略)悲しまれるべき性質をもつゆえに、死の日常化は、いつしか死の平均化を生み、やがてその圧倒的な量による反応麻痺が結果する。」(高橋和巳著『死者の視野にあるもの』)
女は大量死の惹起の根拠を「秩序」と言う。
しかしその女は絶対的な責任を持つものではなかった。しかし、その責任を負わされる。それは女が「もうひとつのハンディ」をあきらかにしようとしないからだ。
ひとり青年だけがそのハンディを知っている。そしてそのハンディをあきらかにすれば女の犯罪性は激減することを知っている。しかし、彼は女が命を賭けてまでそのハンディをあきらかにしないだろうことを予想し、その心情を尊重する。
そこには多くの差別と悲しみが沈殿している。
女は多くの文学を好み、その文学に対し意見を持つことを青年は知っている、故に心情を尊重する。その尊重は彼を朗読者にする。
加害者と被害者の溝は埋まらない。戦争に翻弄された多くの悲しみだけが澱みを増す。
監督 スティーブン・ダルドリー
脚本 デヴィッド・ヘア
原作 ベルンハルト・シュリンク
備考
邦題の「愛…」はよくない。原題は The Reader(Der Vorleser) である。また言語が英語であるが、やや違和感のある英語で、ドイツ語なまりの英語とのことである。
