海野普吉弁護士(静岡)の足跡 2008年08月01日
海野弁護士の没後40年の記念集会が7月6日に行われた。私は行けなかったのだが、墓前祭から始まり記念集会、レセプションと盛大だったと言う。その時に配布された資料が届いたが、多くの人の熱い論考に感慨を新たにした。
集会に参加したものから聞いたところによると、なんといっても砂川闘争、小島事件、そして横浜事件などの話が多かったと言う。
なかでも横浜事件については難しい話だったと言う。
つまり、被告たちに執行猶予つき有罪が下ったとき、獄に残り戦うと主張した被告たちの声に耳を貸さなかったというものである。
これに関して私には意見がある。
まず、海野弁護士が釈放を優先したこと。これは三木清など多くの獄死者を出している当時としては当然の判断だったと思う。また、執行猶予なのだから次の戦いは控訴となり、これはこれでまた別の闘争になると思う。
さらに、横浜事件の反省が後の人権運動の原動力になっのでは、と指摘する声もあったと言う。
いろいろな解釈や、いろいろな感じ方があろうと思うが、海野弁護士が巨星であることには違いがない。静岡が生んだ法曹界の巨星である。
備考
海野普吉は本来「晋吉(しんきち)」であったが役場で「普吉」と登録されてしまったと言う。長年の謎が解けた。