修学旅行生の長崎被爆者に対する暴言と学校の不全について
修学旅行中の横浜市立中学の生徒が長崎の被害者に暴言を吐いたという。
私はここに学校に変質と不全を見る。
学問は感性に訴えるものであったはずである。
学問に触れることは、喜びであり、感動であったはずだ。
未知のことを知る喜び、人の営みや、真摯な発想に感動するものだったはずだ。
また、少なくとも学校はそのヒントやきっかけを与えてくれる場所だったはずだ。
学校は変質し、(いつからかは分らない)点数で人を差別する場所になり、やくたくない勉強をさせる場所になり、受験だ入試だと脅迫資本主義のアジテーターとなり、私生活にまで介入する機関になってしまった。そして卒業したら見向きもしない。
さらに資本主義化のために経済格差を容認する場所でもある。
それは学校の自死である。
学校の言う事は信用できないのである。
よって学校が連れて行く場所は、すべて嫌悪する場所になってしまうのである。
人は自らの意志で人の存在や、人の考えに触れるべきなのである。
学校はそのとば口まで誘導するだけでいいのだ。
私はその暴言を吐いた学生を批判する気は全く無い。
学校という機関の不全を想うだけだ。