書評『夕凪の街』 | leraのブログ

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書評『夕凪の街』



 映画『河 あの裏切りが重く』の映画評にこうの史代のマンガ『夕凪の街』を引き合いに出したので、同書を再読した。


 再読して驚いたのは私の理解が深化したことだ。


 同作品はストーリーや人間関係をわざと明確にしていない。だから読み流してしまうコマや吹き出しが重要なモチーフである場合が少なくない。


 と言うのもこの作品に続く『桜の国』が全体のストーリーの理解にたいへん重要だからだ。


 ここで描かれていることは、原爆スラム(被爆者部落)、被爆二世、内部被爆、そして普遍的にあるだろう恋愛と結婚である。そして被爆者差別である。


 そしてその多くは現在福島第一原発に起因するものに近似している。

また、生き残った者の後ろめたさもあり、それは黒木和雄監督の映画『父と暮らせば』(井上ひさし原作)でも重要なテーマだった。



 これらのモチーフがゆったりとした時間感覚の中で流れ、テーマ化していく。

 テーマは報われなかった青春に対する慙愧の念だ。



 コマに対する著者注があったり、爆心地周辺の地図があったり、参考文献一覧があったり、と読者に対するケアがされている。


 この書籍(本としては『桜の国』が含まれている)に対して雑誌インパクション145号で江刺昭子氏が興味深い指摘をしている。



 本書の参考文献一覧にも載っている大田洋子氏の被爆者ルポルタージュのタイトルが『夕凪の街と人と―1953年の実態』なのだ。それから本作品のタイトルを「引用」したのは分かるとして、問題は『桜の国』の方で、これは大田氏が1940年に新聞小説として書いたものとタイトルが同じなのだ。

 何が問題なのかというと、その小説は「国策小説」で中国に対して大日本帝国の優位性がテーマとなっているというのである。



 こうの氏がそのタイトルを引用したのではなく、偶然の一致かもしれないと江刺氏は言う。

 病院に入院している弟を慰めるために桜の花弁を散らすシーンがあるからだ。



 私が映画『河 あの裏切りが重く』の映画評で言及したように、今現在でも被爆者は援護から切り捨てられている。それがこの国のありようで、意思だ。

 それは太平洋戦争という未曾有の惨事を引き起こした反省がされていないのと同じだ。



 そして原子爆弾投下という戦争犯罪を犯したアメリカ合州国を批判できない、現在のこの国のありようでもあるのだ。



こうの史代著

『夕凪の街 桜の国』

双葉社20041