帰ってきたヒトラー読後感と日本の「場合」 | leraのブログ

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帰ってきたヒトラー読後感と日本の「場合」




 私は小説を資料的に読むことはあるが、自分から享楽が目的で読むことはない。その理由は時間的余裕がないからだ。しかもエンタメ小説なら尚更である。だから免疫が無いとも言える。その分割り引いて欲しい。



 設定はアドルフ・ヒトラーが長い眠りから醒め、現代に登場したところから始まる。

 彼は大戦中と同じ思想を持ち、同じ言動である。もちろん本人であるので、風貌もそれである。それに感心したキオスクの経営者がテレビ関係者に引き合わせる。その番組はお笑い番組である。



 ヒトラーは、その番組内でドイツの将来を憂う格調高いスピーチをするのだが、うけてどんどん人気者になっていく。

 そして「ビルト紙」のインタビューに応じる。

 「ビルト紙」というのは日本に類のないような三面記事あるいはゴシップ記事などを満載した過激な新聞であるが、その説明がないのである。翻訳者あとがきによると、注を付けなかったのは原作者の「エンタメ小説だから」という理由による要望だったと言う。


 彼はユダヤ人祖母のいる秘書の女性との「熱愛」も報道もされてしまう。

 そのインタビューは彼の人気をさらに押し上げる。


 ヒトラーは偉大なるドイツを夢見る結果、現状の批判をするのだがそれがかなり辛口な現代批判になっている。


 さらにトルコ移民問題や、ユダヤ人問題にも言及し、大戦を記憶しているユダヤ人女性から涙の抗議を受けたりする。


 「緑の党」を評価する理由は「終戦後、工業化と機械化で大気と大地と人間に甚大な被害が出た。ドイツの環境を破壊から守ることに党員は身をささげている」からだと言う。


 しかし原発を否定してきたのは「馬鹿げたこと」だと言う。なぜなら「日本の原発事故を理由に原発放棄をしては核兵器を作る道を閉ざしてしまい、軍事的方面では怠慢」に見えるというのだ。

 そして緑の党党首とテレビで対談までする。



 ところがそこにいるのは独裁者としてのヒトラーではなく、マジメで誠意のある責任感の強い政治家としてのヒトラーなのだ。無論、論理はおかしい。だからお笑いになるのだが…

 しかしそれはアーレントの「悪の凡庸さ」も連想する。

 悪意の無い、善意としての極悪さだ。



 そして極右政党へ突撃インタビューを試み、メンバーの青年たちに説教する。

 さらにはネオナチのテロにあいケガを負う。



 政党名、政治家の名前、番組名、タレント名などほとんど実名なのだが、馴染みがないのでさらなる面白さにたどり着けない。

 注のないのは、間違った面白さに誘導しない配慮かとも思ったほどだ。(後注をつけないという著者からの制約があった)


 それでも4ページに一回は笑ったしページへめくるのが楽しみだった。


 日本に当てはめてみたら面白いのではないかと思った。

 ところがあの悲惨な太平洋戦争のイデオローグが思い浮かばないのだ。


ドイツ国民は、ヒトラーのスピーチやゲッベルスのパフォーマンスに熱狂したわけだが、日本人は何に熱狂したのだろうか?


 確かにスローガンはあった。

「ゼイタクは敵だ」はすぐ「ゼイタクはス敵だ」と落書きされたことが特高の報告書に出てくる。「一億火の玉」とかそういったスローガンに熱狂したのだろうか?したとするなら小国民と呼ばれた子どもたちだけではなかったのか?

 

人物が出てこないのだ。

 昭和天皇はイデオローグではなかったし、東条英機のスピーチに人々が熱狂したということもないように思える。

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それとも熱狂なくして戦争に入ったのだろうか?


 侵略を正当化するために開戦後に唱えられた「大東亜共栄圏」や「五族協和」や「絶対的防衛線」などに熱狂したのだろうか?


 まさか「鬼畜米英」には熱狂しなかったはずだ。

 ベーブルースが来て絶大な人気があったし、アメリカ映画を見てジャズを聴いてダンスを踊っていたのだから…