ジャーナリズムとは
メディアスクラム、報道被害、やじうまメディアと言われて久しい。
メディアによる人権侵害は深刻であり、メディアの権力化も顕わになっている。
そこでジャーナリズムについて、ジャーナリストについて、そして特に新聞について考えてみたい。
インターネットにより「速報」の使命は新聞から消えた。よって「他社に抜かれたとデスクから叱責される」時代は終わったと認識すべきである。
新聞の使命は「後追い報道」「調査報道」であるべきだ。
そして、記者クラブという特異な温室にいて「伝聞者(社)」にならないことだ。なぜなら、それが「後追い報道」「調査報道」を阻んでいる元凶だからだ。
そして、「スピンを見抜く目」も必要だ。
それも「後追い報道」「調査報道」を阻んでいるからだ。
また活字になる新聞は「残る」媒体である。
テレビ番組、ネットニュースが残る媒体かというとすぐには首肯できない。ときにその発信元から隠されるからである。
新聞に重要なことが売り上げ部数だとするのは、広告収入を考えるからだろう。それは広告主、広告代理店からの呪縛を生むことになる。広告が減ることを恐れていてはもう新聞を出せない時代に入っていると思う。なぜなら出版物よりネット広告料金が逆転してもう随分時間が経つ。
逆に大新聞のいらない時代に入ったのか?
部数を伸ばすこと、他社に抜かれないことが犯罪被害者の人権侵害や実名報道被害を生んでいるとするなら新聞のレーゾンデートルに関わる。
しかしそんなことはすでにかなり前から多くの人が指摘している。
私が今更そんな話しをしたがるのは清水潔記者の『殺人犯はそこにいる』(新潮社)を読んだからだ。桶川殺人事件の真相についても優れた著書を残している記者だ。
私が清水記者がすごいと感じるもうひとつは人間関係を大事にするということだ。
これは結構メディアでは難しい。なぜならメディアを利用しようとする人が多々あるからだ。
やはり誠意が必要なのだと思う。
そして、報道に対する信念が必要なのだと思う。