映画『眼には眼を』でジュリエット・グレコ | leraのブログ

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映画『眼には眼を』でジュリエット・グレコ









映画『眼には眼を』


原題は ŒIL POUR ŒIL (ちゃんとligature表記されているでしょうか? 1957年フランス映画)








「目には目、歯には歯、手には手、足には足、焼き傷には焼き傷、傷には傷、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない」というのは「出エジプト記」(21:2425)に出てくる言葉であるが、「ハムラビの法典」の中の「同害復讐法」(第196条以下)が原点のようだ。


 これは報復を勧めている()のではなく、「自分が害しただけ償わなければならない」と言う意味なのである。








 イエスは山上の垂訓でこの言葉を否定している。





 この映画の舞台はシリアである。





シリアがフランス統治領になったのは1920年のセーヴル条約による。(レバノンもフランス統治下であり、映画中でベイルートの音楽会に誘われるシーンがある)それは1946年まで続く。その時代のフランス人医師を演じるのがクルト・ユルゲンスである。彼はドイツ人の名優であるが、ここではフランス語を話している。私に知識がないので不明だが、吹き替えかもしれない。アラビア語(別の地域語かも知れない)はスーパーで表示されない。


映画の底流には宗主国と植民地との関係があるのだが、彼は大戦の時ナチス批判で強制収容所に入っていたことがある。








彼がナイトクラブに入るシーンで、歌手がシャンソンを歌っている。


歌手役は女優だが、歌はジュリエット・グレコなのである。実はその興味だけでこの映画を観に行った。





これが実にいい歌なのである。


「街に夜が訪れる時…」という歌いだしである。





 


このナイトクラブにいる女性たちはイタリア語を話している。


 ユルゲンスが「イタリア語は美しい」と言うが、そんな感覚があるのかと興味を持った。








 実はこの映画が上映された主旨は、NFC(東京国立近代美術館フィルムセンター)が所蔵作品のテクニカラープリントを紹介するものだった。


 現在ではイーストマンが主流だが、それ以前はテクニカラーが席巻していた。三本の白黒ネガからポジを複製し三色に順に「転染」する方法で、テクニカラー・インビビョン(捺染方式)と呼ばれた。(イーストマンは多層式カラーポジ)








 特に1954年に作られた『フレンチ・カンカン』(ジャン・ルノアール)は撮影時にも3本のモノクロームネガを使用した唯一の作品である。





 テクニカラーの利点は経年退色があまりないことである。


 今回の上映特集では公開当時のオリジナルプリントで上映されるという大変稀有な特集だったのである。(関心の無い人には無意味ですね)








 ところが私の関心はジュリエット・グレコであり、当時のサウンドトラックであった。


 予想以上に素晴らしく、歌の後半でセリフがかぶるものの、前半は完全に歌を聴かせる作品になっている。








 作品も


 あれだけの舞台で―沙漠だけ


 あれだけの人で―ユルゲンスとフォルコ・ルッリ(イタリア人俳優)の二人だけ


 延々とカメラを回し(撮影はクリスチャン・マトラス、『寄宿舎 悲しみの天使』のカメラ)、退屈させない手法は秀逸である。実際撮影現場は壮絶だったのではないかと思わせる。








「殺してくれ、死んだほうがましだ」と言わせたかったという動機に帰結する脚本(アルメニア人のヴァエ・カチャ原作も)もいい。





 ムスリムと(多分設定は)カトリックの「死」に対するイメージの違いや、近代医学の観点(ユルゲンスが善意で処置しようとして拒絶される)の違いなどもっと観るべき点があるのかもしれない。





 監督はアンドレ・カイヤット。私は『先生 Les risques du métier (1967) 』を公開時に観ている。随分長生きしたな。