愛と違って、恋の定義はできない。
恋が愛と違うところは、アドレナリンが分泌し基礎代謝が亢進し体重が減少することだ。
つまり、自分ではコントロールできないのが恋なのだ。
だから、いつ、どこで、誰となんて誰にも予想できない、分からない。
音と音楽
音とは、日常の生活音に溢れている。逆を言えば安易な音楽挿入がない。小津監督の手法を連想したが少し違う。小津監督の場合は、聞こえてくる音であって、生活音ではない。
その生活音が高い効果を上げている。
観客をその世界に引きずりこむ、という効果だ。
そして、音楽。
音楽挿入がない分、バイオリンの音楽がたいへん高い効果を発揮する。しかも、けして上手くないバイオリンだ。
そして、エンドロールでのフルコーラスと思われるシャンソン。(私の仏語能力で「九月の時」と言った題名)
映画の余韻に浸る時間を与えてくれる良質の音楽だ。
カメラワーク
手持ちのように見せて、かなり頻繁にパンする。
そして背後からのショットが多い。
これらは観客を傍観者にする。
『息子のまなざし』(ダルデンヌ)や『さゞなみ』(長尾直樹 )を連想させるが、もっと距離的に近い傍観者であろう。
父親の誕生パーティーの後、シャンボンを送り彼女の家の前にクルマを止め長い沈黙のときをすごす。彼女がクルマを降りようとして顔を左から右へ向ける。その時に一瞬流れる涙が見える。偶然のようなすばらしいシーンだ。
視線
セリフよりも視線で語らせる。
ジャンが父親として小学校で自分の仕事について語る。
その時のシャンボンの視線。
シャンボンがジャンの仕事場にやってくる。ジャンが妻の妊娠の話をする。その時のシャンボンの視線。
シャンボンがジャンの父親の誕生会でバイオリンを演奏する。その時のジャンの視線。
その時のアンヌマリーのジャンへの視線。
そして、ジャンが駅から帰った来た時のアンヌマリーの視線。
家族
小さなモチーフで「家族」を語る。
シャンボンの母からかかってきた電話や、ジャンの父親の棺選び、ピクニックでの食事、などで家族というものを語る。
モチーフ
ジャンがひとりで高台に来る。
シャンボンのバイオリンを弾いている写真。
苦悩
人はなぜ苦悩するのか。
恋によって愛を裏切れないからだ。
そして、何度も、引き返そうとする努力が苦しいからだ。
俳優のうまさと、カメラと、音と音楽によってつくられた実に巧みな作品である。起伏のないストーリーであるが故にそれらが際立つ。映画製作の伝統ですら感じる。
原題:Mademoisells Chambon
2009年フランス
監督:ステファヌ・ブリゼ Ste’phan Brize’
脚本: ステファヌ・ブリゼ、フロランス・ビニョン
出演:ヴァンサン・ランドン、サンドリーヌ・キベルラン
2010年セザール賞脚本賞、2010年イスタンブール国際映画祭審査員特別賞、国際批評家連盟賞、
