「民主主義と情報」のヒ・ミ・ツ
民主主義とはなんだろう。
國分功一郎氏(高崎経済大学)が『来るべき民主主義』の中で、「政治」は行政が決めると指摘している。
つまり小平市の道路建設予定の住民投票で判明したように、事実上の決定機関は行政であり、市民はそれには関われないのだ。
主権在民、国民主権とうたわれている。
主権とは決定権のことである。
市民(民)、国民は立法府に関わる議員に対し投票することだけしかできない。その議員がどんな立法をするか、どんな法案に賛成するか反対するか、に関われない。しかも、行政の決定に関してはその議員ですら関われない。
現在この国の政治体制が「民主主義」だとすると、民主主義とはどのようなシステムのことを言うのか疑問が湧く。
國分は哲学の歴史から「主権」という概念に注目する。
「主権」は16,17世紀に君主が臣民を従わせるためにつくられた概念だという。ここでいう主権は立法の権利であり、それだけに限定される。とても限定されたものでありながら「主権」と言われているところに問題があるのだ。強いて言えば民主主義というカンバンを降ろした方が整合性がある。また、多数決も主権を立法と読み違えていると言う。
先の小平市の住民投票のように、投票率が50パーセント以下だと開票すらされないということで分かる。
行政の決定は独立し、内部通達などの議会を経ない決定システムもある。
すると行政に関し意見をいい、それが「民意」だと知らしめるには行政が何をしようとしているかを知ることが重要になってくる。
つまり情報が重要なのである。
「特別秘密保護法案」
これはかなり危なく見える。
市民が選挙で選んだ議員が、市民が行政に対抗できる唯一の材料を制限する、という誠に歪なかたちとなる。
また、最近はNSC(国家安全保障会議)では議事録を作らないという「技」を使う。議事録を作らない理由は「自由闊達な議論の確保」だそうである。「密議」とは言わないのかな?
私たちは民主主義を知らないのである。
そしてさらにひっかかってくるのは議員や官僚が言う「国のため」。
少なくとも決定権は市民・国民にはないのだから、ここでいう「国」とは市民でもなければ、国民でもない。ならば何なのだろう?
国防軍が創設されたら、彼らは具体的に何を守るのだろう?有事の際は私の家を取り囲んで私を守ってくれるのであろうか?
それも特定秘密なのだろうか…