差別する心 「婚外子」差別規定違憲判断
婚外子の差別規定に対し違憲判断が出たことについて自民党有志が国会内で勉強会を開いた。その中で以下の発言があったという。
「正妻の子と愛人の子を同じ扱いにしていいのか」
この言い方は「ふしだらな女は子にまで祟る」と言っているように聞こえる。
確率論的に言って50%は男の責任である。男の経済的支配、地位的優位、空間的独占を考えるとその責任は限りなく100%に近づくだろう。
男性に責任が無い場合というのは、女性が志向し男性に秘密で妊娠し出産した場合しかなく、極めて少ないのではないかと思う。
つまり男の責任が不可視化されているのだ。
ところがこの子論議は戸籍を前提としていて、遺伝形質の証明は無視されている。つまり書類的母子関係が最も重要視されるのである。
ここには滑稽な矛盾もある。
つまり、父系制だが出産するのは女性だということである。
端的に言えば全ての子どもは、産んだ女性の「私生児」である。
また、今上天皇以前の天皇の問題も浮かび上がってくる。大正天皇も明治天皇も正室の子どもではないし、徳川家も同様であり、結局男の都合としか思えなくなる。
また、高市早苗政調会長はBS11の番組でこう発言した。
「(差別規定は)日本の家族観に合った規定だと思っていたのでものすごく悔しい」
落合恵子氏は自らが「私生児」であることをカミングアウトしている。高市議員の弁でいくと、落合氏の家族は「日本の」家族観にはそぐわないということになる。
政治家に最も必要な資質は配慮と思いやりである。
元々何の勉強会だが分からないが、「こどもの権利条約」「国際人権規約」の勉強をしないとならないと思う。これらは自民党政権の時に批准したものである。
あるいは世界人権宣言も「生まれによる差別」「門地による差別」を禁止している。
差別する心とは、自分が差別者であると分からない心のことだ。