人を好きになった人は90%が不幸になる。
なぜなら理論的に人を好きになったりしないからだ。理論的に人と交際したり、結婚したりすることはできる。だから、好きになった人と付き合うのは得策とは言えない。
例えば白雪姫がキスで目覚めた後の生活は誰も知らない。我々は彼女の人生のスタートの一部を知っているに過ぎないのだ(笑)。
特に男性は好きになった女性と結婚すべきではない。
90%その女性を不幸にするからだ。そして不幸の原因はほとんど男性にあるからだ。
『椿姫』のタイトルの罪は初訳した長田秋涛にある。「姫」という言葉はクルティザンヌにとってどんな発想で用いられたのかと考えるが、皮肉やアイロニーではなく、人の真情を思うとそれほど批判はできないような気がする。但し「姫」が階級的な言葉ではなく、純真さを表現している場合であるが。(日本の民話では階級的な表現ではなく「姫」が用いられることがある)確かに誤解は受けるであろう。なぜならこの時代設定が大革命との連想上にあるからだ。
長田秋涛を弁護する訳ではないが、海外小説の邦題の奔放さはヘッセにも顕著に見られる。(参考)
今年の1月に東京文化会館で西村悟(さとし、テノール)のコンサート形式のラ・トラヴィアータのアルフレードを聴き(そのときのヴィオレッタはグラディス・ロッシ)、一瞬にして魅せられ是非オペラで観たいと思っていたところ、9月7日一日だけ演じるというのである。
場所は新国立のオペラパレス。ハコに不足は無い(笑)。
客席はほぼ満員。
その中でプレリュードが奏でられる。
いつも思うがストーリーの哀切をすべて表現してしまうようなプレリュード、実に哀しく美しい。
ヴィオレッタの佐藤亜希子が純白のローブデコルテを身にまとい出てくる。驚くほど外見が美しい。実に様子がいいのだ。
性愛の悦びと愛の感得について歌う時のヴィオレッタは華麗。
夜会の別室でのヴィオレッタとアルフレードの二重唱、夜会が終ってからのヴィオレッタのアリア、素晴らしいのだ。西村のハイノートには色香がある。
バリトンが好きなので二幕のジェルモンは好きな役柄(須藤慎吾)なのだが、佐藤に目も耳も独占されてしまう。
しかしここでの二重唱は白眉である。誤解からくる憎しみ、いたわり、愛着、愛するゆえの決断などが歌われる。
フローラの夜会でのヴィオレッタは真紅の衣装でこれも美しい。
二幕の終幕で照明が全部消え、そして再び点灯し幕となった。照明のミスだろうか?全部消えたのでミスではなく効果だろうが、意図がつかめなかった。
三幕のプレリュードは一幕と同じメロディーだが(実際には半音違うらしい)一幕とちがって哀調がずっと続く。目を閉じ聴き入っているとすでに幕が開いていて、真っ白の大きなベッドにヴィオレッタが純白の寝衣をまとって病身を横たえている。
病身ゆえに声量を抑えて歌うのだがそれが艶かしい。全てがレスタティーヴォに聴こえてしまう。
そして、アルフレードと再会し、生きる「許可」を得たかのように声量を大にして愛の歓喜を歌い上げるところの高揚感は感動的。
白い大きなベッドに花に囲まれ息絶える。切なくてやりきれなかった。
カーテンコールで西村が佐藤を招くも出てこず、西村がハケてから佐藤が一人で出て来た。劇中二回もキスしていたのに…
もう一回もっといい席で観たいと思ったが、一日限りの公演、残念。
この公演は藤原歌劇団の公演であるが、マリエッラ・デヴィーアが5日と8日にヴィオレッタを演じそれがメインだったと思う。その公演でのアルフレードは村上敏明、ジェルモンは堀内康雄と豪華メンバー。
この7日の公演は歌劇団の表現を借りれば、「新進気鋭の若手ソプラノの」佐藤亜希子と、「藤原歌劇団デビューの期待のテノール」西村悟のコラボということになる。大抜擢になるのだろうか…
装置はシンプルで、大きな白い四角い台が置かれて、幕によっておき方が変えられ、時としては夜会のステージになるし、時ととしては身を横たえるベッドにもなる。
2013年9月7日
LA TRAVIATA (G.Verdi) フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ台本
指揮:園田隆一郎
演出:岩田達宗
ヴィオレッタ 佐藤亜希子
アルフレード 西村悟
ジェルモン:須藤慎吾、フローラ:関真理子、ガストン:上本訓久、アンニーナ:家田紀子
バレエ スターダンサーズ・バレエ団 金子紗也、横内国弘
管弦楽 東京フィルハーモニー
新国立劇場オペラパレス
参考
『漂泊の魂』の原題はKnulp。昭和25年人文書院刊芳賀檀訳(以後芳訳)のものは『漂泊の人』。「ペーター・カーメンチント」(Peter Camenzind)は『郷愁』だし、「ゲルトルード」(Gertrud)は『春の嵐』だし、「ナルチスとゴルトムント」(Narziss und Goldmund)は『知と愛』、In der alten Sonne(古い太陽でといった意味。太陽は店の名前)は『流浪の果て』
