映画『天国の日々』 | leraのブログ

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映画『天国の日々』








 申命記にこうある。


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 ―なんぢらに命ずる吾()が命令を善く守りて汝らの神エホバを愛し心を盡し精神を盡して之に事(つか)へなば―





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 ―與(あた)へんと誓ひたまひし地の汝らのをる(居る)日および汝らの子等のをる日は数多くして天の地を覆ふ日の久きが如くならん―


 この「お()る日」の日数が「天国の日々」だと言う。








 そして「與へんと誓ひたまひし地」が「約束の地」なのだが、それはマーチン・ルーサー・キング・ジュニアが暗殺される直前のスピーチで述べた「約束の地」promised Land に他ならない。





 申命記の終章でモーゼは「約束の地」に到達する前に死ぬ。見る事だけが許される。それは「メリバの水」でのモーゼの罪が原因である。





民数記略2012節にこうある。


―汝等は我を信ぜずしてイスラエルの子孫の目の前に我の聖(きよき)を顕(あらは)さざりしによりてこの会衆をわが之に與へし地に導きいることを得じと―








マーチン・ルーサー・キング・ジュニアはそのpromised Landのスピーチの中でこう言っているー。


And I don't mind...... Like anybody, I would like to live a long life. Longevity has its place. But I'm not concerned about that now.


皆さんと同じように、私も長生きがしたい。長生きするのも悪くないが、今の私にはどうでもいい…





モーゼの死を意識したのか、あるいは自らの死に対し予感があったのか。





彼は公民権運動の中で、人種に捉われない「貧者の行進(Poor People's March)」を企画する。それは彼の暗殺によって彼の存命中には実行されなかったが、それはコーカソイド(白人)でも貧者が居るという現実を露わにした。





また時期を同じくしウーマン・リヴ運動も昂揚した(ベティー・フリーダン著『新しい女性の創造』)し、ゲイの顕在化・主張(ストーンウォール事件)も起こった。それらはけして偶然ではないと思える。





スタインベックの『怒りの葡萄』は1930年代であった。


この作品の時代は1910年代、ラストは合州国の第一次世界大戦参戦だから1917年である。





 


 私がテレンス・マリックを見たのは『シン・レッド・ライン』であった。


 悲惨な南太平洋の戦闘であるにもかかわらず映像の美しさに溜息が出た。そして、ショーン・ペンの台詞のスーパーがどうしても納得できなくて、もう一度観るよりDVDを買って英語字幕で確認しようと思い発売を予約してDVDを買ったことからも想い出深いフィルムでもある。








 さて、第一次世界大戦の時の合州国である。


 財界は格差を必要とし、安価な労働力階層を作る。それはかつてアフリカ系アメリカ人の奴隷であったが、その時にはコーカソイドの人々を求めた。そうやって蓄積した資本が戦争に使われ、結果として国家予算は疲弊するのに産軍コンプレックスは肥大するという国を作った。








 その状況で金銭を求め、労働を求め流浪する兄妹と兄の恋人。


 男が恋人の幸せを願うのは、貧しい生活に疲れたからだ。愛する人に幸せになってほしいという気持ちは普遍的な心情だろう。幸せのひとつが金銭的保証である。そのあまりに切ない心情が報われない哀しさは耐えられない。





 その「哀しさ」はドライサーの『アメリカの悲劇』(この事件は1906)をも連想する。





 屋外のシーンは、自然光を用いたあくまでも美しいシーンの連続。そしてロングショットの数々。風もが美しく見える。





 室内のシーンは単光源からの陰影の深い映像。


 衣装、メイク、季節労働者を表現する最大限の努力が払われている。それらが俳優の存在感を決めている。








DAYS OF HEAVEN


1978


監督・脚本:テレンス・マリック


撮影:ネストル・アルメンドロス、ハスケル・ウェクスラー


音楽:エンニオ・モリコーネ


出演:リチャード・ギア、ブルック・アダムス、サム・シェパード、リンダ・マンズ、ロバート・ウィルク他





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