今年は竹本義太夫300回忌記念であり、近松門左衛門生誕360年記念である。
文楽五月公演の演目は一部が「曽根崎心中」で二部が「心中天の網島」である。そして豊竹咲大夫が「紙屋内・大和屋」を50年ぶりに通しで語るという話題つき。咲大夫はインタビューで通しで語ることにより「行間が読める」と言っていた。
新聞各紙に掲載されたせいか当日券を求めに来て買えない人の群れがあった。少しでも多くの人に観てもらいたいと思うが、大劇場でできない宿命故残念。千穐楽まで完売。
五月公演第二部はまず寿式三番叟から幕が開く。
「三番叟」は「もう、いいかなあ」と消極的だったのだが、大夫が揃うと住大夫がいるではないか!声量はやや落ちた感はあるが、感心して聞き入る。それに舞台もあきさせない。コミカルな動き、激しい動き、本当によく出来ている。
さて。ストーリー性から言って図抜けていると私が思うのが『心中天の網島』
義理と人情を量りにかけりゃ
義理が重たい男の世界…
これは高倉健が歌った「唐獅子牡丹」の一節。
ここでは義理は男の世界になっているが、文楽『心中天の網島』のテーマは、「女同士の義理」である。
私は以前に書いたものでこう言っている。
心中天網島のひとつの面は、妻おさんの愛情である。
夫治兵衛を死なせたくないという「愛情」である。
遊女小春と深い中になると心中するという確信があり、それを防ぎたい一心で小春に手紙を送る。
小春はそれに応え、愛想尽かしを演じる。
ところが今度は小春が身請けされると聞く。
おさんは今度は小春が死ぬと確信する。
そして、その死を防がねばならないと思うのである。
商売上の金銭、そして自分が持ってきた持参金や着物などのありったけをかき出し、夫に小春を身請けしろと言う。
しかしその先が見えないのである。
田中優子はそこが好きだと言う。
「人間であろうとすると妻ではなくなり、財産も豊かな生活も失う。財産も妻の座も何もかも自分のものを守りとおそうとすると、人間でなくなる」
そして、おさんは愛する人がいる故幸せだと言う。(集英社新書「江戸の恋」p.148)
結局誰も義理を通せない。おさんにしても実家への義理を通せない。
「アア悲しやこの人を殺しては。女同士(どし)の義理立たぬ」(岩波『近松浄瑠璃集上』p.374)と小春は女同士の義理を通せない。
治兵衛は夫として「子までなした二人が中に、なんのそなたが憎かろう」という妻おさんへの義理が通せない。またおさんが従姉妹であるため兄弟・眷属への義理も果たせない。
そして愛する子への義理も果たせない。
そして「心中」してはおさんへの義理が通らぬと別々に死ぬ。
脇差で小春を刺し、自分は小春の腰ひもで首をつる…
橋づくしで、背景がバタンパタンと変わるのもすごい。
贔屓の豊竹嶋大夫が今回も大熱演。
