映画『ふたりの特別な一日』(Un giorno speciale)
コメンチーニの視点、少女・処女は消費財…
フランチェスカ・コメンチーニ監督は女性の視点から映画を作ってきた。それは男性中心社会のイタリアにおいてこそ意味があった。俳優のディーノ・アプレージャが2006年のイタリア映画祭のシンポジウムで男性の8割は浮気(不貞と言い換えた方がわかりやすいか)すると言っていたが、それは女性の悲しみでもある。『哀しみの日々』(I giorni dell’abbandono)では夫に浮気をされた妻は引きこもりになってしまい、それを子どもたちが励ます。
コメンチーニは『ママは負けない』(Mi piace lavorare)で働く子どものいる女性の苦労をコメディタッチで描いたし、『まっさらな光のもとで』(Lo spazio bianco)で夜間中学で教える女性教師の姿を描いた。
2013年のイタリア映画祭に出品された当作品が描くのは「権力」と青春の無惨である。
ある朝、その一家(両親と弟)は姉が昨晩遅かったからと、異常なほど姉に迷惑にならないようにと過敏になる。19歳で女優を目指している姉にとっては特別な日であるようだ。
母が起きた彼女に慈しむように身支度をさせる。ペディキュアを塗ってやる。娘は高価な服や15センチのヒールに途惑いを見せる。
特別な日なのだ。
母と娘は家を出る。
そこが貧困層のローマ郊外の同じ建物が並ぶ新興アパート群であることがわかる。近所の人たちが娘の「あで姿」に目を見張る。挨拶しにくる老婆もいる。
特別な日なのだ。
迎えの車が来る。
その車の中で、娘が母の遠縁の国会議員に会いに行く事が分る。そしてその運転手は今日が初仕事の青年であることがわかる。娘は今後の活動を引き立ててもらいに、そして青年は母親が司祭に頼んでやっと得た勤め先なのだ。
コネがあからさまに表現される。
コネは権力を表し、権力を温存し、男社会を形成する。
待ち合わせの時間がどんどん遅くなり、娘と運転手の時間が増える。
ボーリングをやったり、遺跡で遊んだり、それらは本来彼女らが持っていた時間のはずだ。
それから彼女の奇矯な行動が始まる。
そして、とうとう会えることになり急ぐ車の中でパニック症状をきたし呼吸ができなくなり、車を止めて休む。
そして、娘は議員に会うことができる。
青年は車を返した後にやっと得た職を初日で止めることになる。
経済的な苦境が、若者、特に若い女性に過酷に作用するということだ。あまりに無惨だ。
「少女・処女は消費財」と言ったのは映画『あの娘が海辺で踊っている』の監督山戸結希が言った言葉だが、その意味は童貞映画あるいは童貞との対比の中で少女・処女性は消えゆくもの、無くなっていくものということだ。
この映画ではその意味ではなく、まさしく消費され、何かと交換されるものであることがわかる。
ラストをどう考えたたらいいのか?
もし彼女がその交換で得るものがあるとするならこれほど無惨なこともないだろう。青年はまた無為の日々を送るのだろう…
カメラはルカ・ビガッツィ。夜や雨など暗さを演出するカメラは常に美しいが、当作品ではそういったシーンはあまりない。そのかわり、対比を見せる。殺伐とした新興アパート群とローマ中心地、人工的なショッピングモールと遺跡群。
疑問がある。
ハイヒールのヒールが壊れ靴から離脱したことだ。何があったのか?
原題は「特別な日」
2012年イタリア
監督・原案・脚本 フランチェスカ・コメンチーニ
原作 クラウディオ・ビガッリ(Il cielo con un dito)
原案・脚本 ジュリア・カレンダ
撮影監督 ルカ・ビガッツィ
出演 フィリッポ・シッキターノ、ジュリア・ヴァレンティーニ