書評『涙と花札 韓流と日流のあいだで』金惠京(キム・ヘギョン)著
著者の特異性が興味をひく。あの過酷で知られる韓国で大学受験をし、大学は日本で送り、法学の研究はアメリカ合州国でおこなったということ。そして、9・11同時多発テロを体験し、オバマ大統領の登場を体験し、3・11の震災を体験したからだ。そして研究テーマは「テロ」である。
外から見た韓国、日本、米国の描写は独特であり、説得力がある。
たとえば韓国における大学進学の心理を「恨(はん)」と分析している。
「十分な学歴を得ることができなかった多くの韓国人の親は、植民地支配や朝鮮戦争に起因する貧困に直面し、しばしば学歴上位者からの不当な要求に対処することを求められた。(略)自分の子どもにはそうした苦労はさせたくない」という思いであり「人生において、やり残してしまったこと(やりきれなかったこと)を何かの形で晴らす」恨なのだと言う。
しかし私が最大の関心を寄せたのはプロローグの花札に関する記述だ。
花札は日本が植民地支配をする上で「反発の少ない遊戯面での同化政策」によって大量に配布されたという。
ところが韓国の座布団はチマチョゴリの柄を思えば分かるが色がたいへんカラフルで、その上で花札をやると色の混同でやりにくかったという。そこで登場するのが朝鮮戦争以降駐留することになった米軍の払い下げたられた野営の際の敷物で作った「座布団」だった。
つまり花札は日本の植民地支配と朝鮮戦争と駐留米軍の産物という指摘は大変刺激的だった。
タイトルの『涙と花札』は、著者が言うには韓国は「葬儀の時に、こちらでは涙を流しているのに、こちらでは花札をしている」理解されにくい民族、の例えに使っているからだ。
実際に映画『祝祭』やテレビドラマ『タチャ』に「通夜花札」は登場する。
ただこれには私には異論がある。
私の祖母の時に「通夜ばくち」という言葉があったし、祖母は花札の「こいこい」を毎晩やるような人だったので、それを望んだ。五代ほど先祖を辿れるが朝鮮半島のルーツは見出せない。
そして葬儀の多くは自宅でやったので、子どもにとっては「お祭り」と区別がつかない場合が少なくなかった。不特定多数のものが長時間酒を呑むシチュエーションだったから、笑い声もあがれば、花札もやったのだと思う。
柳家三亀松の通夜の時花札博奕をやって立川談志が儲けたという話は落語好きの中では有名な話。
故網野善彦先生の講演(遊戯史学会総会)で、それに関することを聞いた。
賭博は「かみ」を喜ばせる「かみあそび」で、出産や死などの「ケガレ」など厄災の場合にも用いられた。出産のさいに雙六盤がおかれ「物付」になった巫女がそれで博打を打つということも事実あった。
よって、おそらくアジアの地域で見られたことではないのか?と思う。韓国も花札流入以前は別のも、例えばテジョンなどで「通夜ばくち」が行われてのではないかと推測する。少なくとも韓国特有ではないと思うのだが、データがないので断言できないが…