書評『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』 | leraのブログ

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書評『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』増田俊也著新潮社

 

 格闘技のルールは、ある価値観内で強者を決めるのみを目的にしている。例えば相撲は「土俵内で足裏以外の部位がつく」「土俵外に出される」というふたつの価値観内で強者を決めるためのルールがある。そのルールはいたってシンプルである。なぜならふたつの価値観が極めて合理的であるからだ。

 ところが競技会ルールというものがある。

 これは決められた時間で、決められた試合数を消化するためのルールである。これは時として本来の競技目的から乖離する場合がある。

 例えばオリンピックでの陸上競技のフライング規定。全体で2回目だと本人が1回目でも失格になる。アマチュアレスリングの場合、同ポイントだと後から獲った者が勝つ。などである。

 柔道の場合、場外、制限時間、禁じ手、ゴールデンスコア等である。これらの規定が格闘技としての柔道を左右する。また柔道は格闘技なのか、スポーツなのか、あるいは武道なのかという問題も提起する。

 本書は出版関係の賞も獲ったのですでに多くの人が読んでいると思う。そして、受賞に関係なく名著であると言える。

 驚くべきは力道山が登場するまでの、日本における柔術・柔道の歴史である。そして、太平洋戦争後GHQとの関係から講道館に収斂していった不幸を詳細に述べる稀有な本でもある。

 それは、柔術・柔道が武道か?スポーツか?と言った本質論も伴うしレーゾンデートルでもあり、GHQが武道精神を危険視したため、スポーツとしての講道館柔道が生き残ったことをあきらかにしている。

GHQの脅威に対する講道館の守り一辺倒の行動が、現在でも講道館=全柔連という、他スポーツ界にはありえない、ひとつの家元(町道場)が競技団体すべてを統括してしまうといういびつな構図のできた経緯である―(p.252)

 武徳会、高専柔道という二大潮流を失った損失は計り知れないだろう。それは、講道館の政治手腕にだけ求められるものでもなく、戦争という破壊行為と敗戦という大きな社会変革、そして進駐という圧力の中での生き残り等々が相互作用したものかもしれない。

 日本柔道界の戦争の傷跡の余りの大きさに唖然となる。

 さらに木村の師匠である牛島辰熊の人物像や、石原莞爾との交流から生じる東条英機暗殺計画等、けして裏面史とは呼べない近代史の証言ともなっているて貴重である。さらに牛島が戦後柔道最大の功労者であったという事実は講道館の「正史」が消してしまったものかもしれない。

 また、牛島は「武士道」の体現者であったことも知る。

 しかし「武士道」については、坂口安吾の『堕落論』から「時の体制に利用された」と指摘する。そして『堕落論』から次の言葉を引く。

―日本戦史は武士道の戦史よりも権謀術数の戦史であり、歴史の証明にまつよりも自我の本心を見つめることによって歴史のカラクリを知り得るであろう。今日の軍人政治家が未亡人の恋愛に就いて執筆を禁じた如く、古の武人は武士道によって自らの又部下達の弱点を抑える必要があった―

 しかしその中で、武人であろうとし武士道を生きようとした「遺物」もいた。それは日本という欺瞞と虚偽の国家の犠牲者かも知れない。その中で生きようとした牛島と、戦後の混乱に対処しようとした木村が、あれだけの師弟関係があっても別離せざるをえなかった理由だとしたら悲しく思う。

 私は木村との「約束」を違えた力道山についてさらに知りたいと思って読みだしたもののその前半の面白さは本来の目的を忘れさせるに十分だった。