タルコフスキー、ストーカーとストーカー | leraのブログ

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 アンドレイ・タルコフスキーの映画作品『ストーカー』を観て、どうしても原作を読みたくなった。原作はSF界では著名というストルガツキー兄弟(Arkady and Boris Strugatsky)の『ストーカー』である。





 もともとの題名は ПИКНИК НА ОБОЧИНЕ で、英語タイトルが ROADSIDE PICNIC で、『路傍のピクニック』という邦題がついていた。





 タルコフスキーが映画の構想がありストルガツキー兄弟が脚本に参加したので、後に本の方も『ストーカー』になりハヤカワ文庫ではカバー写真に映画『ストーカー』の画像が使われている。





 小説を読んでいると映画のシーンが次々に浮かぶ。


 小説のおどろおどろしいイメージが、映画と完全にリンクしていると思う。美術(監督が担当)の素晴らしさが増強される。しかし、ストーリーに接点はほとんどなく、プロットが酷似しているだけだ。





 翻訳は深見弾であるが、本の内容はぐいぐい引き込まれる。やや残念と思うのは、映画を知らずにこの本を読んだ時の印象を感受できないことだろう。





 ところが、訳者あとがきを読んで驚く事があった。

 映画製作の3年間の過程で、作家と監督の意見が合わず、自分たちだったらこのような作品にしたという脚本を発表した。その冒頭で以下のような意見を述べている。


「(映画『カトーカー』が)高度な国際級の作品であることはだれも疑ってはいない。だが、このことばを自賛とうけとってもらいたくない!映画『ストーカー』の製作については、その主たる功績はタルコフスキーのものであって、われわれはただの下働きをしたにすぎない。(略)このシナリオにしたがって映画を撮りさえすれば、それはそれで存在する権利があると思われた」





 このシナリオは『願望機』とタイトルされている。


 これはプロットに重要な示唆を与えている。タルコフスキー映画のプロットである「願望の叶う部屋」と、原作に出てくるストーカーがゾーンから持ち出す「……機」がイメージされるからだ。





 是非その映画作品を観てみたいと思う。