映画『死刑弁護人』 | leraのブログ

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 『マルチチュード』(アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート共著、幾島幸子訳、NHKブックス)は、フランスの社会心理学者ギュスターヴ・ル・ボンの『群集心理』(桜井成夫訳、講談社学術文庫)から世論について以下の言葉を引いている。





(世論は)合理的な個人の声はほとんど見られず、あるのは差異の存在しない非合理なひとつの声…群衆のなかでは異質なものは同質なものに打ち負かされ、無意識の特質が優位に立つ…群衆は基本的に非合理的で外的影響に左右されやすく、感化と反復によって集団の統一性を維持しようとする指導者に必然的に従う…群衆の主要な感情はパニックである…世論はひとつに統一され操作されやすいという点できわめて危険―





 安田好弘弁護士は、ある人たちからは「悪魔の手先」と言われるが、直接知っている人たちからは理知的で情に厚い人と言われる。悪魔の手先と言われる根拠は、極悪非道な「犯罪者」の弁護人を務めるかららしい。つまり極悪非道な「犯罪者」は弁護など受ける資格はなくさっさと処刑しろというリンチの発想なのかもしれない。この考えこそ日本の司法制度を根底から否定する悪魔的な発想に思えるが、世間あるいは世論はそうは思わないらしい。





 裁判の目的は事実を追求することと、犯罪の防止であると思う。あまりに多い冤罪の前で私たちは事実の発見に懸命にならなければならないはずなのだが…世間、世論は違うらしい。安田弁護士も「事実をあきらかにして初めて本当の反省と贖罪が生まれる」と映画の中で言っている。





 安田弁護士に届く脅迫状の数々、また映画には登場しないが橋下徹氏(現大阪府知事)が火付け役になった弁護士懲戒請求の嵐を思うと暗澹たる心情になる。





 映画で紹介されるのは、和歌山カレー事件、新宿西口バス放火事件、名古屋女子大生誘拐殺人事件、光市事件、オウム事件である。和歌山事件では冤罪の可能性と証拠の捏造を強く示唆する。それは事実の追究に努めなかった裁判所に対する痛烈な批判でもある。新宿西口事件では加害者の生活環境と心情に接近し、悔悛の情の発現を認める。弁護活動によって無期懲役となったものの、その後受刑者は自死してしまう。それに対し判決で終わりではなかった、寄り添えなかったと深い悔恨を露わにする。





名古屋事件は死刑確定囚が悔悛の情を示すに至った後の死刑執行に何の意味があったのかと問う。光市事件では本来裁判所がしなければならなかった事実の追究に努める。それが多くのバッシングを生むという不可解。オウム事件では裁判所のスケジュール重視によって事件が何も解明されずに、死刑という二文字のみに集約されてしまった残酷を問う。また井上嘉浩に対する弁護団の反対尋問から被告の混乱が始まったこともあきらかにした。





もともとそうだったのかもしれないが、いつからこんな国になったのだろう?もし彼がいなかったら、死刑が予想される事件の多くは国選弁護人による事実関係を検証しない、争わない裁判になってしまうのだろうか?まさしく恐怖である。公正な裁判を受ける権利、弁護士を選任する権利をメディアも含めて軽視しているのではないだろうか?






被害者の不幸への反射として「加害者らしき人物」に死を要求する大衆に背筋が寒くなる。そして、その大衆は犯罪被害者が幸福になることを厭う。それは国賠ネットニュース133『ヘヴンズストーリー』の中でも指摘した。





 この大衆的心情はマスメディアの責任ではないのか?映画の中で安田弁護士もメディアの取材要求に対し、「マスコミは強者であり悪意報道がすぎる」と言う。光市の記者会見で「母胎回帰の主張をなぜしたのか」というマスコミの質問に対し、これは鑑定書の表現と言い、メディアの不勉強さを静かに諭していた。そのシーンに胸が熱くなったが、その理由の大半は私の中にあった無念さだったと思う。







安田弁護士の話は直接何度もきいているし、映画には知っている人も随分と出ていた。よって冷静な評価評論はできると思っていないが、安田弁護士の存在そのものが奇跡であるかのように思えた。







安田弁護士という人の底流に流れているのは、人間に対する尊厳に他ならない。それは人を消耗品とみなす現代においてひときわ光を放つ。しかし観終わった後に残る陰惨な気持ちは何だろう?いくら議論を尽くしても相容れない人たちの存在があるからだろうか?バッシングの原因となったテレビ番組を検証目的で見たことがある。その番組が大阪で放送され東京地区では放送されなかったからだ。しかるべき年齢の人たちが興奮して非難する異常さ異様さは心に大きな傷を残した。その癒えない傷のせいかもしれない…







そして、その中で私が、私たちができることを模索したいとそう思った。









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:齋藤潤一、ナレーション:山本太郎、撮影:岩井彰彦、他