新文芸坐(池袋)の山下耕作監督特集で、この日だけ上映された作品。脚本は笠原和夫で、任侠映画の極致といわれた『博奕打ち 総長賭博』のコンビである。
仁義を貫こうとする若山富三郎がそれ故に反対勢力に取り込まれ、そこから抜けるには死しかないという設定は『…総長賭博』と酷似している。『…総長賭博』が68年で本作が71年である。(その間に『日本女侠客伝』『緋牡丹』シリーズを撮っている)
しかしなんといってもメインテーマは不幸な愛し合う男女だ。
笠原の脚本はその二人をとことん追い詰め救いがない。結局ここにも死しかない。
雪が横殴りに吹き付ける直江津の海岸のシーンは、その後の滅びを暗示し哀切極まる。この二人の悲劇に完全に呑みこまれてしまった。ある人が恋愛映画の大傑作と評したが肯首できる。もう賭博のシーンは、バッタまきがほんの少し出てくる程度。また、討ち入りもない。
あの二人に、どこか引き返せる地点があっただろうか?もしあるとするなら出遭わなかったことぐらいだ。
いわゆる「任侠(ヤクザ)映画」とは何だろう。
どう定義すべきだろうか?
私は、ヤクザ社会というえ特殊な社会故に存在する不合理や矛盾、その中で呻吟する元々不遇な恵まれない者にスポットを当てた映画、と定義したい。だからプロットや時代やストーリーに無理もあれば不自然さも多い、故に様式美というのだ。
「いのち札」とは、「組の大事ないのち札を死に目にはってしまった」という鶴田浩二のモノローグからだ…