命が失われる事があると、教育現場で「命の大切さについて話したい」という言葉をよく聞く。ただし、それは実体を伴わない。
今回集団登校の列に自動車が突っ込み、たいへん悲惨な結果となった。集団登校の列が交通事故に巻き込まれるのは、毎年あり何年も前から集団登校の実施そのものが問題にもなっている。
イタリアやフランスでは保護者の送迎が多く見られる。フランスの場合は昼食を家で食べる場合が多いので送迎は日に2回ということもある。もっとも同国の場合、子育て家庭に対する時間的・資金的援助が大きいこともある。
今回の現場を見ると、歩道無し、ガードレールなし、側溝に白線を引いただけ、というたいへんひどい状態だった。こういった場所を通学路に指定する行政の感覚、あるいは教育現場の感覚を厳しく批判したい。
私が体験した中で、登校時間帯に歩行者専用道路にしたり、信号ひとつつけることにも多大な労苦が必要だったり、校門の場所あるいは学校に入る場所の変更・多数化も学校の承認がとれないことが普通だ。いわば誰も「命の大切さ」など考えていない。
完全な車中心社会であることを思い知らされるだけだ。
段差ある歩道とガードレールがあれば安全が確保できるとは言わない。
しかし、少なくとも事故は減らせる。
事後に「命の大切さ」を言うのではなく、「大切な命を」守る行為をすべきなのだ。