子どもの戦争、しろうとの戦争 | leraのブログ

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 戦争に反対するのに資格も権威もいらない。しかし、説得力のある人たちがいる。「平和遺族会」の人たちと、「不戦兵士・市民の会」の人たちだ。なぜなら「平和遺族会」の人たちは、戦死者の遺族であり、「不戦兵士・市民の会」の人たちは軍隊経験者だからだ。当然高齢であり、今この人たちの話を聞くことはけして無駄な事ではない。


 「不戦兵士・市民の会」は「不戦」という小冊子を出していて、2011年夏季号(no.158)が届いた。巻頭は高野邦夫氏(元八戸工業大学教授)の講演採録で、テーマは「軍隊教育と国民教育」であった。氏は日本の戦前教育を軍国主義教育と定義し、その原点は軍隊教育にあったとしている。


 その講演の中で日本の戦争を分析している点がふたつあり、ひとつは「素人の大量動員」と、もうひとつは「子どもの戦争」である。


 海軍の特攻で有名な「神雷部隊」は全部で800人近い隊員がいたが、その中で正規の海軍兵学校出身者は6人だけで、その他の大部分は海軍予備学生と予科練出身者の少年兵である。


 少年兵は15歳で国民学校高等科卒業見込みの時に「先生の推薦」で志願する。学徒出陣は11万人から13万人いたが、少年兵はその3倍から4倍いたと言う。

 予科練では「丙種予科練」と言って6カ月の予科練教育から1年間の飛練課程で航空兵にした。戦死者は88パーセントにのぼった。


 「伏竜」「回天」などの特別攻撃での事故死もたいへん多かった。

 「神風(しんぷう)特別攻撃隊」は5機編成の内2機は海軍予備学生出身の飛行学生で、他の2機は予科練出身の少年兵であった。海軍兵学校出身者は指揮官の1名のみ。


 陸軍の特別攻撃隊も同様で、正規将校が編隊長で、他の2機は特別操縦見習士官(特操)で、専門学校や師範学校在学生を志願させ、1年間の訓練で特攻要因に仕立てたもの。他の2機は少年飛行兵。

 正規現役将校は温存したので、子どもたちの戦死が急増です。


 つまり、「しろうとの戦争」「子どもの戦争」だったわけだ。

 高野邦夫氏は「少年兵の動員と組織化には、学校と教師の役割と責任が非常におおきかった」と述べている。


 自爆テロに未成年を使う…その原点はここにあるのだ。


 蛯名健造著『海軍予備学生』(中公文庫)も読んでいただきたい。巻末の戦没者名簿は胸に迫る。