AKB48はアイドル、か? | leraのブログ

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 アイドルとは偶像であり、崇拝されるものである。


 かつてフランス・ギャルは「夢見るシャンソン人形」を歌い、自らを「人形」と規定しアイドルの原型を示した。


 ところが原題は
 Poupee de cire, poupee de son で
 「(私は)ロウ人形, 音の出る人形」(実はsonの翻訳は結構難しい。音でいいと思う)


 歌詞にこうある

Mon coeur est grave dans mes chansons
私の心は自分の歌で舞踊ってはいない
(graveの翻訳は結構難しい。重々しい、沈んだというカンジ)
Poupee de cire, poupee de son
私はロウ人形, 音の出る人形


 この歌詞で邦題が結構うまくできていることがわかるし、なかなかシリアスなアイドル像だったりする。

 この歌は日本でもたいへんヒットし、彼女は日本に来てテレビでも歌った。稚拙な日本語歌詞でさらに人気が沸騰した。
 
 シルビー・バルタンは「アイドルを探せ」を歌った。


 ところがこれも原題は
La plus belle pour aller danser で
 「(私が)踊っている中で一番きれい」


 歌詞の中にアイドル宣言も、アイドル探索も無い。結構セクシーな歌詞なのであるが、誰が「アイドル」という邦題を付けたのだろうか?しかし、その愛らしさで一世風靡したと言っても過言ではないだろう。


 フレンチポップスは微妙な音程のズレや、幼い語り口で人気を博した。私は個人的にはマージョリー・ノエルが好きだったが…


 ええっと、何が言いたいかと言うと、アイドルは未成熟さが信条であり、天地真理を筆頭とする日本アイドル達もその系譜を追ってきたと思う。


 その共通点は「歌詞の無邪気さ」である。
 言い換えれば「無難さ」「無意味さ」で、それはヘレニズムの処女崇拝のようなものかもしれない。


 ところがAKB48の歌を聴いていると、アイドル系譜から逸脱しているのだ。
 
 「Beginner」(作詞秋元康)ではこう問いかける…


 僕らは夢見ているか?
 未来を信じているか?


 この問いかけは現代に生きている若者に対する、現代の在り方について考えることを促しているように聞こえる。つまり「夢が語れる国なのか?」という問いかけである。


 「誰かのために」(作詞秋元康)ではあまりに直接的にこう言う…


 世界からすべての
 争いが消えて
 ひとつになる日まで
 私は歌おう


 愚かな戦争を
 ニュースで観るより
 声が届くように
 私は歌おう


 「桜の木になろう」(作詞秋元康)では、大事な人へのメッセージを次のように伝える…


 満開の季節だけを
 君は懐かしんでいてはいけない


 誰も居ない校庭
 時にひとり帰っておいで


 永遠の 桜の木になろう

 そう僕は ここから動かないよ
 もし君が 心の道に迷っても


 愛の場所が わかるように 立っている


 「懐かしんでいては…」は先行きに対する暗さであり、それが自分ではどうしようもないという諦念観である。この部分に感じるのは春憂歌である。


 そして、その暗い先行きであっても「自分だけは」「あなたのために」「立っていよう」と言う。そこにあるのは無力感と無常観と無私性である。


 そして、自分でしかできないささやかな表現なのだ。


 AKB48はアイドルなのだろうか?