劇評「いつか、どこかの物語」劇団ダダン | leraのブログ

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 芝居は小屋に入ったところから始まっている。


 場所はある収容施設なのだが、客席に座るとすでに「俳優」らしき人物がいて、なにかしている。舞台に徐々に人が増えてくるが、台詞を吐くわけではない。「なにか」している。

 その段階で観客は自分が演劇の一部であることを悟る。


 設定は収容施設で「回復」の治療をしている人々の、治療のための演劇の練習であり、劇中劇である。劇は「浦島太郎」。


 人々はその演劇の練習をしながら、湧いてくる疑問を解消しようとする。


 なぜ、勤勉で腕のいい漁師である太郎が竜宮城へ行ったのか?
 それに対し「息がつまる幸せ」と結論づける。


 そして、愛の向く方向を示す。

 愛は、その対象に向くのか?あるいは自己に向くのか?である。


 エピローグはない。
 解決しないからだ…


 今までのダダンの演劇で最もわかりやすい本だったかもしれないが、かなり優れた本でもあった。テーマに重みを持たせない工夫は、芝居を芝居らしくさせ、また深さも持たせた。


 舞台美術は、どこまでが劇中劇が判然とさせない効果があった。観客も含め、皆が役さがしで終わる、まるで「人生」のような舞台だった。


 場当たりの困難さを感じさせる出入りの多い舞台で、それを照明と音響が支えていた。

 役者のパフォーマンス能力に頼った感はあったが、よくできた舞台だった。


 作・演出 井上良
2010.10.8-10.10