映画『父子草』は1967年の東宝の作品である。
踏切の近くのガード、つまり地上の線路の他にコンクリートの高架橋がある。場所としては京成電車の沿線で東京郊外か千葉か。そのガードの下で、屋台のおでん屋を営んでいる女性が竹子(淡路恵子)で、近くの飯場にいる土木労働者の平井(渥美清)が呑みに来る。けして酒癖の良い客ではない。いつも夜勤前の晩飯を食べにくる苦学生と喧嘩したりする。
映画はこの二人(竹子と平井)の台詞がほとんどである。
おでん鍋を挟んで、けして親交があるようには思えない言葉を投げかけていく。
何日か、諍いも含めて会話を交わしていくと、徐々に平井の素性が分かってくる。
あの当時、つまり戦争の影がまだあった時代。人に言えない悲しみは街に溢れていたのだろう。
渥美清はその悲しみを表現することが巧みだ。
彼はそれを「振りかえった姿」で表現していく。けして顔でもなく、背中でもなく、ひねった頸のシワのようなところで…
渥美清の代表作は「フーテンの寅さん」シリーズだが、あの作品群が多くの人に愛される理由は、困惑と哀しさだろう。困惑とは「あんな親族がいたら困る」という困惑であり、「あんな」と言うのは「あんな真っ直ぐな」「あんな不器用な」「あんな純情な」という「あんな」である。哀しさとは、その存在を受けとめる人も場所もない、という哀しさだ。夕暮れの柴又駅のホームで妹のさくらと別れるシーンは、何度見ても苦しくなる。是非あのホームに実際に立ってほしい。
この作品でも、人には語れない哀しみを表現している。
その哀しみは「フーテンの…」とは違い、深く救いようのない哀しみだ。自分が何故生きて来たか?何のために生き残ろうとしたか、という生への動機に深く関わる存在の哀しみだ。
竹子ははじめ平井の「風来」を揶揄する。「風来」の理由を知らなかったからだ。
屋台に撫子の鉢植えがあり、撫子の別名が「父子草」だと知るところで、竹子は平井の哀しみを知るのだが、その哀しみには普遍性がある。そして、誰にも負い目があり、けして癒せない哀しみであることを知っている。
あの当時、貧者は貧者同士で連帯感があったのではないか?少なくともあの大戦で金儲けをしなかった、あるいは搾取される一方だった側に立っていた、という自負だ。
その哀しみを知った竹子の平井に対する優しい眼差しが素晴らしい。
苦学生西村(石立鉄男)と、彼に好意を持っている美代子(星由里子)のエピソードが出てくる。
美代子は父と駅前でまんじゅう屋をやっているのだが、父のギャンブル癖で夜逃げせざるをえなくなる。荷物を西村に預かってほしいという。やはり、その時にあるのは貧者の同情と連帯である。
平井が飯場で万年筆を鼻にあて、微笑するシーンがある。その微笑は「ついてない人生」に対するささやかな抵抗なのだ。そして、自分の他にけして割り振れない心情の置き場所なのだ。
あの戦争がもたらしたもの、それをよく知る必要があるだろう。
おそらく、平井や竹子の背後には数えきれないほどの死者がいるはずである。
映画が終わった後、渥美清がスクリーンの中で何度となく歌っていた「佐渡相川音頭」が耳に蘇る。
データ
1967(S42)年東宝、白黒、シネスコ、1時間25分
監督:丸山誠治、脚本:木下恵介、撮影:梁井潤、音楽:木下忠司、美術:松山崇