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『帝国の慰安婦…』その3 戦時性犯罪の異常さ

 戦争の時の強かん、強かん殺人、輪かんは日本軍特有のものではない。ベルリンや旧満州のソ連軍や、沖縄やベトナムのアメリカ軍、ベトナムの韓国軍にも見られた。韓国軍のこのことは朴裕河氏も指摘していて、それが彼女に対する批判のひとつの原因であるようだ。

 しかし日本軍兵士が主に中国で犯した戦時性犯罪はその多さからいってあまりに異常な事態ということが言えるだろう。
 この戦時性犯罪の多発はなぜ起こるのかという分析はされたことがあるのだろうか?

 日本の慰安所は、性犯罪の多発による軍支配住民の悪感情が軍政統治を困難にすると思われて設けられたといういきさつがある。
 慰安所が設けられても性犯罪は減らなかった、あるいは根絶できなかった。
 その理由はある兵士の証言でいくと慰安所は金銭的に高かったと言う。
 無論軍律で強かんは禁じられていたため、証拠隠滅で殺人になったのである。

 沖縄で複数の米軍兵士が沖縄の少女を拉致し強かんし殺害した事件があった。
 この時、米軍の上官は「なぜ(女性を)金で買わなかったか」と疑義を呈したが、これは問題の本質が分かっていない。
 強かんを欲する人が確実にいるのである。
 これが戦時だと増大するのであろうか?

 ところが強かんに関して容認するような発言がある。

 某大学のパーティーサークルが女性を酔わせて強かんするという事件が明らかになったときに、ある政治家が少子化を踏まえて「このくらいの元気がほしい」と発言した。

 小林よしのり氏は『新・ゴーマニズム宣言』で「祖国のため子孫のため戦った男たちの性欲を許せ」と言っている。

 防衛次官だった西村和彦氏は「核とは抑止力。強かんしてもなんにも罰せられんのやったら、オレらみんな強かん魔になってるやん」と雑誌のインタビューで言っている。

 橋下大阪市長の次の発言は記憶に新しいだろう。
「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で、命かけてそこを走っていくときにね、それはそんな猛者集団と言いますか、精神的にも高ぶっている集団はやっぱりどこかでね、まあ休息じゃないけれどもそういうことをさせてあげようと思ったら慰安婦制度っていうものは必要なのは、これは誰だってわかるわけです」

 これらの発言はどう聞けばいいのだろう。
 政治家や法律家の発言とは思えない。
 これらの発言は、女性をモノとして見ているとしか考えられないのだが。

 戦時性犯罪を犯す兵士は「セックスモンスター」なのだろうか?
 あるいは男性兵士なら誰でも戦時になるとそうなる可能性があるのだろうか?
フランスのテロに思う

 私は非暴力主義なので暴力は否定する。
 しかし暴力を使わざるを得なかった人の存在は全否定しない。
 それを全否定してしまうと、暴力を用いるに至った理由が不可視になるからだ。

 今回のテロ事件に際し、2005年のパリのシテを中心に起こった「フランス暴動」を連想した人は少なくないはずだ。

 今回の暴力とあの時の暴力について、「マイノリティー」という共通点があると思える。
 植民地、移民、貧困、異教徒、非コーカソイドなどの「マイノリティー」だ。

 例えば、イエスを風刺したものがあった場合、フランスのキリスト教徒はこのような過激な行動はとらない。
 なぜなら、マジョリティーだからだ。
 全く無視することができるし、逆に笑うことができる。

 「マイノリティー」は宗教的信奉を唯一の拠り所にしている人たちがいる。
 そこにアイデンティーティーを見出し、「マイノリティー」生活を耐える支えにしている場合がある。
 その人たちは、宗教的シンボルが風刺された場合無視したり、笑ったりできない場合がある。
 ルサンチマンと言う言い方もできるかもしれない。

 フランス共和国はアフリカに植民地を持ち、軍事攻撃で独立を阻止しようとした経緯があるし、現在有志連合でイラクを空爆している。
 フランスがそういった国であることを前提に論じるべきだと思う。

 私は表現は自由であるべきだと思う。
 しかしヘイトスピーチが許せないのと同様に、宗教的シンボルに対する風刺は慎重であるべきだ。
 特にマイノリティーの人たちが心を寄せるものに対する風刺は人種差別の一歩手前だ。
『帝国の慰安婦…』その2 田代美江子の戦後慰安婦論から

 慰安婦問題を考えるときに、日本の特殊事情を知ることも必要と思う。
 その特殊事情というのは、日本では売春などの性産業が巨大産業だったということだ。それは江戸時代に端を発する。

 なぜ巨大産業になったのか?
 人身売買による安価な女性供給システムがあったからだ。
 この根源は長子相続(家督相続)という家父長制と、年貢などの構造的に作られた貧困にある。

 その産業は資本蓄積をバックボーンに権力と結びつき、私娼弾圧を強めるのは大方の知るところである。

 戦争は経済行為であり、その経済行為と性産業という巨大産業が結びついた先に従軍慰安婦という存在があったのだ。

 埼玉大学の教授である田代美江子氏は近現代の性、ジェンダーと教育をテーマに研究をしている学者だが、不戦大学で「国家管理される<性>―敗戦後における「慰安政策」と純潔教育―という講演をしておりそれが興味深かった。(2013.12.7)

 敗戦後、純潔教育という「性教育」がスタートするのは1947年であり、これは私娼の防止に関係していたと言う。
 1946年にはすでに「私娼の取り締まり並びに発生の防止及び保護対策」という次官会議決定がされている。

 なぜ私娼取締りが必要だったのか?
 あるいはなぜ私娼が発生するようになったのかを考える必要がある。

 敗戦後の「慰安政策」は1945年8月18日、つまり敗戦の三日後に出ている。それは「外国軍駐屯地における慰安施設に関する内務省警保局通達」で次の文言がある。
―警察署長は左の営業に付きては積極的に指導を行い設備の急速充実を図るものとする。性的慰安施設、飲食施設、娯楽場
―営業に必要なる婦女子は芸妓、公私娼妓、女給、酌婦、常習蜜売淫犯罪者等を優先的に之を充足するものとする

 この女性たちの募集広告は特殊慰安施設協会の名で「職員事務員募集」「特別女子従業員募集」というタイトルで新聞に掲載された。甘言で人を集める手法である。
 この状況下で生まれるのがRAAである。
 その設立宣誓式が1945年8月2 8日に皇居前広場でおこなわれるが、その趣意書には以下の文言がある。
―一億の純潔を護りもって国体護持の大精神にのっとり

 資金は業者の封鎖預金5千万円と日本興業銀行からの融資5千万円で作られるものの、性病の蔓延で米軍も1946年に将兵の立ち入りを禁止にする。業者は短期間で1億2千万円もの莫大な利益を上げたと言う。

 しかしその施設の閉鎖で女性たちは使い捨てられる。
 橋本嘉夫著の小説『百億円の売春市場』に「小町園」という施設の解散式の挨拶が出てくる。
―マッカーサー指令で今日限りオフリミットになったから、諸君には適当に職を探してもらいたい。(略)ご承知のように協会は営利事業ではなく、国策的な仕事であった関係上ほとんど利潤はあがっていない。(略)せめてお国のために尽くしたというただ一つの誇りを土産として、慰めとして、お別れしていただきたい

 このシステムは朝鮮人慰安婦にも当てはまる。
 植民地となったことにより「日本人」となり、貧困や差別から抜け出そうと(アイヌ民族や琉球弧の人々のように)日本に同化し、「愛国」「奉仕」を押し付けられる。

 田代は言う。
―「国体護持」「国民外交」のために慰安施設がつくられ、女性たちが集められに利用された
―「国家的事業」だからと利潤がないと嘘をつき、閉鎖によって女性たちが放り出され、私娼がつくり出される。ところが「私娼の取り締まり」であり、自分たちが作り出しておきながら国家の責任が無かったことにする。

 日本は、慰安施設を稼動させながら公娼廃止を唱えていくが、それはGHQ命令を先取りしたものだと言う。
 日本政府の態度は「公娼制度は社会風紀の保持上相当の効果があったが、社会情勢のために仕方ない」というもので、廃業者には私娼として家業継続を認めるものだった。

 GHQの公娼廃止に関する覚書の理由は「民主主義に反し、個人の自由発達を侵害する」というものだった。
 ところが、日本政府とGHQはRAAを利用していたし、将校用クラブも運営していたのだ。
 そこで日本政府が出したのが「私娼の取り締まり」で田代から言わせると
―公娼を本気で廃止する気の無い日本政府が出した、買売春存続の規定
―日本政府にとって占領軍に対して外交を円滑に進め「国体」「護持」のために女性の<性>が利用された

 こられの政策で女性が、「国体」の基礎となる「家族制度」に必要な妻・母といった「純潔」な女と、「国体護持」のために必要な「慰安」政策とそれを担う「売春婦」「私娼」という「純潔」ではない女に分断されたと指摘する。

 田代は1947年から始まる「純潔教育」との関係でこういう
―性道徳を強調する「純潔教育」の役割は明らかで、「国民道徳」を強調することによって「純潔」でない女をRAAによって大量に「発生」させておきながら、その問題をすりかえ、「純潔」でないことを女性個人の責任にする。
 純潔教育もまた、占領下の買売春政策を補完する役割を担っていた

 私はこの政策に朝鮮人慰安婦とかなり共通したものを感じる。(占領下は女性の場合は虐使であり、かなり様相を異にする)

 朴裕河氏も朝鮮人慰安婦問題のときに業者の責任が問われないと指摘していたが、その理由は業者の多くが朝鮮人だったからではないかと言っている。

 いわゆる従軍慰安婦を考える場合、太平洋戦争前の「からゆき」システムと戦後の慰安政策を視野に入れる必要があると思う。
 これは国家間の問題でなければ、戦争・戦時の問題でもない。
 抑圧され続けてきた女性と、搾取され続けてきた女性の<性>の問題だからだ。
 さらにそれは現在に連鎖している。

 中国の対日戦争の被害は計測できないほど多数にのぼり悲惨なものだが、その象徴の「万人坑」を尋ねた青木茂の著書『万人坑を訪ねる―満州国の万人坑と中国強制連行―』の中でこう言っている。
―中国人らを膨大に殺しているのは日本軍だけではなく、大資本・企業家が日常の営利事業の中で膨大な数の中国人を殺しているのが実態だ―

 このことは坂本雅子著『財閥と帝国主義―三井物産と中国―』の中でもあきらかにされている。

 これは場所請負制度の中でアイヌ民族を収奪し、女性を奪い、人口を激減させた「日本的なやり方」とみごとにリンクしている。

 業者・企業の戦争責任が明らかにされていないと思うのは私だけではないはずだ。

 つづく。次は日本兵のセックスモンスターぶりについて、その不思議について…