旅行から帰って風邪をひいてしまい、強烈な喉の痛みと戦っている間に起きた漫画家さんの自死で、ずっと気持ちが落ち込んでいます。ファンでもないまったくの外野なのですが、考えれば考えるほどせつなくなります。


 もちろん誰よりもお気の毒なのは自死にまでご自分を追い込んでしまった漫画家さんなのですが、騒動のキーポイントになったSNSを発信してしまった脚本家さんが今どうしていらっしゃるだろうかと思うと辛くなります。


 私より少しお若い方のようですが、私などは還暦を目の前にしても「やらなければよかった」「いわなければよかった」と後から後悔することばかりしています。意図しなくても誰かに迷惑をかけたり、もしかしたら傷つけているかもしれない、そんな失敗ばかりしています。


 仕事上の愚痴をSNSで、しかもかなり辛辣とも取れる文面で発信してしまったのは確かに大人げない、浅はかな行為でした。でもそのくらいの浅はかさは私などにはいくつも覚えがあります。


 もし私がその脚本家さんだったとしたら。それなりに実績もあり、順調に仕事が続いている。でもテレビ局にわがままを言えるほどの大御所ではない。いつどんな失敗で仕事できなくなるかはわからない。


 もし、今回の件で、漫画家さんの意向が正しく伝えられていなかったとしたら?苦労して書いた脚本が何度も直されてしまうことに焦りや怒り、様々な感情を抱いたと思います。ついには最後に実質的な降板となってしまったのですから不満や悲しさ、恨みを感じても不思議ではありません。


 原作への敬意が足りなかったと声高に言われています。確かにそうでしょう。でもそれはこの脚本家さんやドラマ制作者だけの問題ではなく、テレビドラマ業界全体に蔓延っていることでしょう。原作への愛情と尊敬を持って素晴らしい仕事をする人たちもいるでしょうが、それよりは手っ取り早く漫画や小説のアイデアを借りてドラマを粗製乱造する制作者のほうが多いのではないでしょうか。


 そんなテレビ業界でそれを当たり前として実績を積んでしまった人たちが、今回たまたまちゃんと主張する原作者と出会い、またその原作者が繊細さ、強い責任感、心優しさゆえに自死してしまったことで糾弾されてしまうのは、私には何かとても哀れに感じられてなりません。


 できることなら大切な命が失われる前に気付くキッカケがあれば良かったのに。


 今、脚本家さんが沈黙を守っているのも、本意ではないかもしれません。当該テレビ局から当たり障りのないコメントが出されてしまった以上、それは違う、自分は原作者の意図を知らなかった、或いは制作責任者から示された方針に従っていただけ、などと勝手に発言してしまえば、もうこの業界で仕事は出来なくなってしまう恐れがあります。


 保身と言われるでしょう。卑怯と言われてしまうかもしれません。でも顔を合わせたこともなかった他人の原作者と自分とどちらが大事かと問われて、保身に走ってしまう人を私は責めることができません。


 これはすべて私の妄想です。妄想ついでに言ってしまうと、漫画家さんが出版社と相談の上でドラマ制作側にも気を配りつつ、理路整然と経緯を説明した長い文面を公開してから「ごめんなさい」と削除し自死に至ってしまうまでの時間があまりにも短すぎて違和感を覚えています。


 自分の漫画連載とドラマ脚本でのゴタゴタで疲弊し切っていた漫画家さんが、文書公開からの短い時間で様々な反響をご自身で確認する余裕があったのでしょうか?どこかから何かしらの情報がもたらされたことが彼女の背中を押してしまったような気がしてなりません。


 スマホを覗くとついついこのニュースを追いかけてしまうのは、日本テレビまたは小学館が誠実で真摯な態度で声明を出していないだろうかと淡い期待をしているからなのですが、それが期待薄なのもわかっています。


 今後、漫画や小説を原作とするドラマが制作されるときには、作品と原作者の意図が尊重され、原作者、脚本家、演出家、制作責任者がじっくりと話し合い、お互いに納得した上で丁寧に進められるようになればいいと思います。そうならなければならないはずです。


 日本人はすべてにおいて手軽、便利、時短に慣れすぎて、じっくり丁寧に作り上げることへの敬意が無くなってしまったように思えます。