自動車の営業マンになって早1年目の春を迎えようとしていた。
車の製造では食券を1か月分ぐらいまとめて買い、いつも決まった時間に食事をしていたが、営業職では自由になる。
私が、S自動車直営の販売店にいた頃の話である。外出先から戻ると事務所には、誰もいなかった、いつも事務員の女性が3人応接室で食事をとっているのだが、今日は外食に出たのだろう。
私は、いつもより早い食事をとってきたので「さて、何をしようか」と
思っていると心地よい風を体に感じたのでどこかの窓が少しあいているようだ、来客用のテーブルと椅子を見ると明らかに春の光がさしておりその光にひときわ輝く色を見てすぐ横の窓だと気づいた。
私は社員用の椅子に腰掛けて暫らくじっとしていたのだが、どうも落ち着かなく誰もいないのも幸いして両足を机の上に上げてうとうとと眠っていた。人のけはいがすれば両足は元に戻せばいいと思っていた。

突然「入社1年目でこのざまは何だ」という声がしたと同時に足を片手でたたくように掃われたかと思うと背広姿の大きな男が立っていた。
会社の関係者でなく車を買いにきた客でもなく部外者であるこの男に、私は不意をつかれたのと腰をかけていた椅子からずれ落ちそうになるのを必死にこらえながら、やっとでた言葉は「あんた誰」だった。
言葉がいい終わるか終わらないうちに「パシッ」という音がして頬を叩かれた。叩かれたと思うとともに今度は右手がくるのを予感し反射的に左手でよける態勢に入った。
相手の行動はスロウな動きに見えた。このへんは45秒で車を作るライン作業の仕事をやった経験の賜物である。
つづくゴルフ


宇宙人にあったことありますか?
と聞いてもおそらくほとんどの人がないと答えるでしょう。
しかし、出会いはそれぞれであろうが、ごく少数の人はこのまれな体験をしているのである。それでは、私が宇宙人に出会った時の事からお話しましょう。
どうしてもここからお話しないとわかりにくいのです。

私は実力主義企業に入りたかった。人間は生まれて死ぬまでの人生をどう生きるか考え、ひとつの仕事で生涯を決めてしまうのはいやだという人も多いはずであると、しかし日本ではいったん入った会社で定年まで働くという人も多いはずであろうと思っている人も多い、だが実は結構少ないもので、なぜなら会社に入り6年たち9年経てば能力を問われる。能力があれば誰でも出世するものであるとはいえないが学力、努力、忍耐力、に加え体力があればたいてい出世するものと思う。
そう考えて25歳で自動車製作会社に入社を決めたのであった。

労働者平均年齢23歳のなかで結構、精神と肉体に苦痛の伴う作業だった。ライン作業というのは限られた時間内で自分に与えられた作業をやればいいのだが、何しろ秒の世界のことである作業をやるのは非常にきつい。スピードと正確さを要求される仕事である。
もちろん安全な自動車、つまり品質も要求される仕事で、だんだんと目が早さに慣れてくる3年が過ぎた。多少の成長も実感していた。おかげで体力も耐久力に富み、体の動きも軽やかになり人並み以上の競争力もつき、どちらかといえば口も達者なほうになったようだ。
入社3年目に係長になった。
しかし、まわりは敵ばかりであった。少しでも気を抜けば足を引っ張られる、残業手当てはもちろんつかない、家に帰宅してからも仕事である。寝ても夢の中で電卓でデータを出している、夢ののデータが翌日、同じ数字で出てくるのである。いってみれば明日を見る超能力である。
後で聞いた話だがレム睡眠だそうだ。完全には寝ていない状態なのでもちろん睡眠不足になり、それが原因で胃潰瘍になり入院。3ヶ月で退院。また同じ仕事である。
そんな毎日に嫌気がさし退職したのであった。
つづくネコ

はじめに
生命は、いったい、いつ頃から誕生したのだろうという疑問は、誰でも一度は考えたことがあるでしょう。
そして、その疑問にたいしての結果は人それぞれに、異なった思いがあるでしょう。なぜなら、これぞ、という決定的な答えを今までしてきていないからです。いっけん、真実に見えてもそれは一個人の意見にすぎないのではないでしょうか?
中国3000年の歴史と言われた時代から4000年の歴史と言われ今や6000年の歴史と言われてる現状を見てもお解かりでしょう。
真実とは歴史とはという、とてつもない大きな問題を書くつもりはありませんが、人間の根源、にかぎり私の思いを気ままにかきました。
この話は、私の作品の中では今まで取り上げたことのないものです。
SFものとして、または、ひょとすると本当のことかもしれないと思うように書いたつもりです。
なにぶん、慣れない文体ではございますが、どうかご容赦願います。ラブレター
                          
                           さくらももこ

過去、3回ぐらい偶然、司馬遼太郎さんと会った。
初めて会ったのは、司馬さんが、まだ新聞社におられた頃である。
一度目は、名古屋の千草区であった。歩いていると後から、とんとんと肩をたたかれて振り向くと、にやりとして立っていた。
二度目は、真夏のお昼頃、四日市の工業地帯のまっただなか、コンビナートのすぐ横の通りであった。
三度目は、名古屋の大須観音のそばであった。
わたしがぶらぶら歩いていると偶然、逢ったという感じである。
わたしが大通りに面した歩道をぶらぶら歩いていると曲がり角からふらりと出てきた。わたしが気づき立ち止まっていると、すぐ目の前まで手帳に何かメモしながら歩いてきて、じっと見ている私の目の前で、手帳から眼をはなして気づかれた。
司馬さんはいつも、淡々としていてグレイの背広とグレイのズボン、肩から黒いショルダーバックをさげていた。
いづれも立ち話ばかりで、かわりばえのしないお互いの近況を話して、最後は仏教の話になるのであった。
露の中、ふと思い出しては懐かしい。カメ

遠藤周作さんと初めて会ったのは昭和58年秋だったと思う。
困ったときはここに電話してとメモを渡してくれた。
困った事はなかったのだけど、ちょっとした用事で、そのメモに書かれた番号に電話してみると
「はい、東京ガスですが、」と受話器から聞こえてきて驚いた。
その事を本人に伝えると、「クッ、クッ、」と口元に手を当てて笑うのであるのが、楽しみの一つらしかった。
こういう冗談が好きな人であった。
私も彼に、今度あなたの都合がついたら一緒にフィレンッエにでも行きましょう。
ここに電話してくださいと、彼にメモを渡した。
2週間ほどして、職場に遠藤さんから電話がきた。
「君、都合がついたので、メモに電話したら、大阪ガス、だったじゃないか冗談がきついじゃないか?」と返事が来たのを覚えている。
彼は、キリスト教徒であった。その頃、わたしもだが、今、はやりのダ・ヴィンチ・コードとそれほど遠くない関係だった。
最初はそうでなかったが、会えばお互いぼろの投げやいだったのだけどそれほど仲は悪くなかった。
時には、内緒の話なんかもしていた。
久しぶりにダ・ヴィンチ・コードという言葉を思い出し、遠藤周作さんとの事が懐かしい。ブーケ1

下呂温泉駅の前にある広場に着いた。

やふ子は「うん・・・何処にでも行くから言ってくれよ。たまちゃん!」と聞いた。

こんなときは、いつも、たまちゃんが書店の雑誌などから、オモシロそうなところを調べてきているので、聞いたのである。

「えっ・・私が・・・実は今回は忙しくて何も調べてこなかったのよ。」

と、たまちゃんが言ったので、わたしが、「観光案内ね!駅の近くにあるはずだけど、何処にあるのかしら?」と周りを見て言うと、

やふ子は、「お願い、さがして・・・ずっと運転してきたから、疲れてんねん」と関西弁で言い、車のハンドルに上半身をあずけて一呼吸してから車から外に出てオーバニーがずり落ちているのを上げた。

わたしも関西弁で「しゃーないなー」ということでしぶしぶ車から降りてみると駅の横に観光案内所と、書かれた看板が目に入った。

案内所では、三人ともものすごく金のかからない所と言って、まず、近くに点在する温泉を三箇所ほど紹介してもらい、その後飛騨牛のおいしいところも同じように三箇所紹介してもらった。

つづくベル

夜の月に着陸した。
地球から見れば月の裏側に着陸したことになる。
着陸の際、一番緊張する時は船の脚がつきの地面に接する瞬間だ。
噴射と、逆噴射を繰り返すことによって緩やかに降りていくのだが、衝撃が大きいほど船の機器に影響をおよぼすからだ。
ミスをおこせば月にぶつかり宇宙船はこっぱ微塵となる。
少しのミスも犯せない。
宇宙船内で大気調査は済ましているので、降りてからの工程としては最初に照明のセットをして、地質調査がはじまる。
それだけじゃないリモコンの探査機をセッティングした後、観測機もセットするまで作業は続く、前方にある丘をみながら「あの丘の向こうにはどんな光景があるのだろう」と、興味を引かれながら作業をした。
すべて時間制約の中でやっているので景色を観賞している暇はないが、リモコンの探査機は、あの丘の向こうにまで動かそうと思った。
月には、薄い酸素はあるが、吸入器ははずせない。
宇宙服も着ているので動作は地球と比べれは遅くなるが、重力が小さい分、重い荷物の移動ははるかに楽である。
すべての作業を終えてから丘を登ることになった。
緩やかな登りなのに宇宙服を着ていることと、砂と重力が、小さいため思ったより困難を強いられ何度も転倒した。
やっと登りつめて、向こうの景色をみて、かなり驚いた。
直径3メートルほどのパイプラインがはしっているのである。
それもコンビナート風に網の目のようにである。
コンビナートと大きく違うのは縦に伸びた煙突は一本もないと言うことであった。
まっすぐはしっている一本のパイプの見ると先が見えないほど、遠くまで伸びていた。それはあたかもここから見る地平線まで伸びているのではとさえ思わせた。
もちろん、そんなデータはなく、地球人のものではない。
つまり宇宙人の基地を発見したのである。ブタネコ

かがやく月(あかされたいつわり)
実は、火星も木星もナサでは20年前からよく知られている。
名前をS飛行士と、K飛行士と、R飛行士、そしてM飛行士にしよう。
ある日本人のK飛行士が極秘に20年前、月面着陸をしている。
3人の宇宙飛行士が飛びたち土等採取して月面から帰る際、ソ連の宇宙ステーションにドッキングして宇宙ステーションにいるアメリカ人S飛行士をM飛行士と入れ替えて三人で帰るという計画だ。
しかし、じつは、アポロに乗って帰ることができたのはK飛行士とR飛行士の2人である。なぜなら三人分の酸素はおろか二人でも少なかったのである。
たとえ、宇宙ステーションに2人残ったとしても酸素は1人の計画で装備されている。
そして、宇宙ステーションに残った2人をまた地球から助けに来ればいいと思うのだが予算の都合上、これもまた無理な話であった。かりに、予算があっても再度飛び立つまでの準備の時間で宇宙ステーションの2人の生命に望みはなかったのである。
この無謀とも言える計画に奇跡が起きた。
3人で宇宙ステーションの修理中の1人M飛行士が不慮の事故でなくなった。
命綱をつけて作業中をしていたのだが、その命綱がきれたのであった。
他の作業をしている者が気づいたときには、すでに宇宙ステーションから4メートル離れていた。
残りの一人も金属光が発するほうを見ると、修理中の1人が指をさしている。そちらの方向を見て初めて事故を知った。
残された3人に緊張がはしった。
そして、みな愕然とするのだった。
もう自分たちの命綱の長さでは、Mを助けることはできないと悟ったからだ。
両手両脚で必死にもがいていたMは、この膨大な宇宙空間を何千年、いや無限に漂うことを悟り覚悟を決めたかのように体の力を抜いて、だらんとしたように見えた。
重苦しい空気がながれた。宇宙ステーションに戻っても誰も一言も言わなかった。

ロケット

はじめに
「生命誕生のなぞ」が結構、人気があるので「宇宙もの」をかこうと言った気分になりました。
それと、2001年、惑星探査機も打ち上げられているので今まで知らなかった謎が少しづつ解き明かされていますので、ここはひとつ、惑星、小彗星、流星のことを、それにまつわる不思議も含め「わたくし流」で書いていきたいと思ったからです。
乱筆乱文ですが、楽しんでいただければ幸いです。
ほかと同様、気がむいた時、書きます。\(。・0・。)/ャッホー☆

                      さくらももこ ラブラブ

私は、過去とか未来にいけるのであれば、過去に行きたいのだが行けるのだろうかときいた。
答えはおのずとわかっているようだが、あえて聞いてみたのだ。
白ねずみは、左手をひじを曲げて手を開き
「もちろん行ける。今すぐにでも!」
「いくか?」と言った。
この問いに対して私は、「今すぐに生命が誕生した時代まで行きたい」と答えると
「その時代に行けるのは行けるが、酸素の量が異なるのであなたの命が危ない。」と白ねずみは言うのである。
「少しへんだ!」と思った。
なぜかといえば、生命が誕生した、ということは人間のことを言っている。
もちるん、白ねずみの方もそのことを理解しているようだ。それなら生きている人間がいるにもかかわらず、多少の酸素の量が異なったぐらいで、なぜ、私だけが生きられないのか、ということを白ねずみに、問うことにした。
「どうしてぼくだけ、生きられないの?」と聞いてみると白ねずみ
は自分の鼻までゆびをもっていき、「ここの穴の大きさが違う」と言う。
そういう白ねずみの鼻も二つ小さな穴があるだけである。
あきらかに人間の鼻のようにもり上がっていないのである。
「あんたは?」とさらに聞くと「自分はアンドロイド(半人間・半
機械)だから大丈夫。」と答える。
また、アンドロイドがでてきたので、わたしは、ついでに聞いてみた。
つづく恋の矢