7月29日(月)、放送作家の小山薫堂さんが主宰するオレンジ・アンド・パートナーズの副社長である軽部政治さんが、ダイバーシティメディアに来社され、9年ぶりの再会となった。


会った瞬間、様々な思いが込み上げ、かなり感動し抱き合った!


懐かしさと共に、様々なことに共に取り組んだ日々が、走馬灯のように思い出されたのだ。


前回お会いしたのが2015年の2月で、昨年閉館したホテルキャスルの桜果林にてフグ料理を食べた。


それ以来の再会に、たっぷり時間をかけて、この9年間のそれぞれの報告や、様々な出来事の認識を合わせを行ったのである。




以前は、1年に何度もお会いし、様々なことを話し合い、連携をとって進めていた感がある。


軽部さんとの出会いは、約20数年前、サイバーブレッドの副社長として、当時のケーブルテレビ山形に来られ、新たな広告事業の展開についてプレゼンを受けたのが最初である。


ライブドア関係のブロードバンドピクチャーズやレッドライスメディウムなどと共に、当時のベンチャー産業の先頭を走っていた。


当時はまだ知られていない、「インフルエンサーによるストーリーの演出」や「クチコミによる話題づくり」のプレゼンを聞き、鉄板であると思っていた電通や博報堂の広告システムやスキーム以外のあり方が、「今の時代に存在し、通用するんだ!」と、正直、目から鱗だったのである。


その後、軽部さんは、放送作家の小山薫堂さんと、オレンジ・アンド・パートナーズを立ち上げた。


軽部さんは、2005年の第1回の山形国際ムービーフェスティバルYMFの立ち上げからご一緒し、薫堂さんは、第2回目の選考委員に名を連ね、若手クリエイターの審査に参加していただいた。


薫堂さんは、YMF映画祭の選考委員、東北芸術工科大学の企画構想学科の教授、映画「おくりびと」の原作と脚本と、当時は3つのご縁が山形にはあったと語られている。


さらに、薫堂さん軽部さんのオレンジの立ち上げ、そして、自分の長男・吉村和康のオレンジ初の新採としての入社など、更なるご縁が重なって行った。


軽部さんと和康は、今度、オレンジのOB会をやろうと盛り上がっていた。


その後のオレンジは、京都の老舗・下鴨茶寮の経営や、来年の万国博覧会のオレンジ・パビリオンの運営などにも参加し、話題は絶えないのだ。


今回、オレンジが、インクルーシブ社の傘下になったとのニュースは聞いたが、詳細が分からなかったので、じっくりお話をお聞きした。


20年前から、軽部さんの「人生の達成目標」を聞いていたので、彼が「ひと段落着いてホッとしている」と語る顔は、とても融和なとても良い顔をしていたと思ったのである。




この日、ディナーで伺ったのが、イタリアンレストランの「ボーノ」


七日町にあった頃、小山さんと軽部さんがよく食べに行ったことを知っていたので、この日、新しくなった「ボーノ」にお連れした。


佐々木シェフも古林さんも、とても喜んでおられた。


軽部さんも、海外に行っていた薫堂さんに、写真を送っていた。



旅を続ける人々は

いつか故郷に出会う日を

たとえ今夜は倒れても

きっと信じてドアを出る


めぐるめぐるよ時代は巡る

別れと出会いを繰り返し

今日は倒れた旅人たちも

生まれ変わって歩き出すよ


山形にお母さんの実家がある、中島みゆきさんの名曲「時代」の1フレーズ。


この夜を物語っていたような気がしたのである。


自分にとっては、熱く未来を開拓しようとしていた20年前、多くの方々と一緒に物語をスタートしたことを再認識できた夜であった。