心震わす命の物語。


小学館文庫小説賞の大賞受賞作品であり、シリーズ累計70万部のベストセラー「ほどなく、お別れです」


実写映画化の中で、浜辺美波と目黒蓮が奏でる物語は、深く優しく心に染み渡るのだ。




昨年の邦画の最高傑作が「国宝」だとすれば、「ほどなく、お別れです」は、今年の邦画の最高傑作と言えるだろう。




少なくとも、自分は、これほど感動し涙が溢れた映画は久しぶりであり、それぞれの人が持つ大切な人との別れの瞬間を、こんなにも暖かく安らかに描くことの素晴らしさに、驚きと感動を覚えたのである。




米国アカデミー賞外国語映画賞を獲得した、小山薫堂さん原作・脚本、滝田洋二郎監督の「おくりびと」にも通じる「死への尊厳」を描きながらも、「死」を迎える瞬間に、大切な家族との「生」の物語が、鮮明に愛おしく描かれていく。


三木孝浩監督の最高傑作だと思う。




最後の瞬間だからこそ、その人の想いや願いに、見送る側は、しっかり耳を傾けたいと感じさせる映画であった。




今、最も旬で、絶大なる人気を誇る目黒蓮と浜辺美波。


誠実で純粋な輝きが、見終わった観客に、良質の余韻を残してくれる。


是非、映画館で観てほしい作品。


ムービーオンやまがたで、絶賛、上映中!

2月10日(火)、ダイバーシティメディアグループの常勤の取締役と、顧問弁護士団との意見交換会を、老舗料亭「四山楼」で開催する。


毎年行ってきた意見交換会であるが、弁護士の先生方のご都合が合わずに、約3年ぶりの開催となった。




水上進先生、伊藤三之先生、手塚孝樹先生、阿部則裕先生、渡部洋江先生の5人の皆さんより、常日頃よりご指導を賜り、お世話になっている。


ダイバーシティメディア、ムービーオン、パスラボ、東北ケーブルテレビネットワーク、さらには東海山形学園などの顧問弁護士をお願いしているのだ。


今回は、阿部則裕先が初参加であり、渡部洋江先生以外の4人の先生方が参加された。


まず最初に、自分より、グループ各社の現状と課題や、重点的に取り組んでいる事業内容について説明をさせていただく。




その後、最近の世相や社会状況などについて、意見交換を行う。


水上進先生とは、40年来のお付き合いであり、ケーブルテレビ山形(現ダイバーシティメディア)の設立前からお世話になっている。


伊藤三之先生とは同じ歳であり、高校生の時からの友人で、共通の友達も多い。

あの頃は、お互い現在の仕事や状況は、想像がつかなかったと思う。


手塚孝樹先生は、山形青年会議所の理事長を経験され、若い世代からの信頼は厚い。

手塚先生は、山形県の教育委員にもなっており、これからの法曹界の中心的な人物である、


阿部則裕先生は、手塚先生と同じく山形青年会議所の理事長を経験される。

自分の後輩である山形南高校出身の弁護士である。


現在の山形県の弁護士数は、101人とのこと。

やはり、司法試験は難関であり、資質と努力を持ち合わせた人が就く職業である。


最近、山形南高校出身の先生方が、6人に増えたとお聞きし嬉しく思った。


複雑型の社会、多様性の社会、ハラスメントに敏感な社会、格差社会…。


ガバナンスやコンプライアンスは、企業や組織の在り方としては、欠かせない要素である。


安心して暮らせる社会、生きがいを持って仕事ができる会社、希望が持てる未来など、視界がクリアーな日常でありたいと思う。


これからも、ご指導を賜ることを、心よりお願い申し上げたのである。

「義を見てせざるは勇なきなり」

「信なくば立たず」


そんな言葉が、心にすっと染み込んでくる家庭で育った。


自分が産まれたのは、東京の三軒茶屋。

父は政治家を目指す、まだ20代の国会議員の秘書であった。


そんな父が、亡き父親代わりに慕った方は、当時の自民党の代議士・鹿野彦吉先生だった。


時が移り、鹿野彦吉先生の次男である道彦氏が、34歳で衆議院議員に当選する。

父とは同じ釜の飯を食べた盟友。

その頃は、既に父は山形県議会議員になっており、そこからは二人三脚で一時代を築いた。


政治家としての最後は、鹿野道彦代議士は農林水産大臣となり、父吉村和夫は山形市長となった。


父が2003年に現職の山形市長で亡くなり、鹿野道彦代議士も2021年の秋にご逝去された。


葬儀委員長にはでん六の鈴木隆一社長、副委員長は自分と愛山会総括の千歳貞治郎氏が就いた。


鹿野道彦先生が亡くなった夜、それまで、選挙では、ずっと対立軸にあった遠藤利明代議士の須藤秘書より連絡が入り、「鹿野先生へ手を合わせたいと、遠藤が言っている。弔問に伺ってもよろしいでしょうか?」と、自分の携帯電話へ連絡が入る。


そこにいたのは、充子夫人、喪主の雄一氏などのご家族、鹿野派の県会議員と市議会議員の皆さん、そして吉田あい子さんなどの秘書団。


喪主を中心に話をし、「お待ちしています」と連絡をする。


遠藤利明代議士が、鹿野先生のご遺体に手を合わせて、「鹿野先生が尽力された山形新幹線への思いを、私が引き継いでいきます。これまで、日本のため、山形のため、ご苦労様でした。」と話される。



あれから5年が経つが、その間、遠藤利明代議士と何度か会食をし、忌憚のない話をさせていただいた。


これまでの市長選挙や知事選挙の中で、保守が、鹿野・吉村派と、遠藤派に分かれてしまった。

県内を見渡しても、もともと保守なのに、別れてしまった地区がある。

それが、一つになることが、国、県、市と、地方の都市機能を維持発展させる道であると、県内の「保守合同」を、遠藤代議士は「自分の任期中に果たしたい!」と仰っていた。


そもそも、吉村家と遠藤家は、親戚の間柄。

これまでは、親戚間でもギクシャクしていたが、やっと当たり前の関係になったのである。




今回の選挙で、遠藤寛明氏が、39歳の若さで当選された。


当選の翌日、わざわざ、自分の自宅までご挨拶に来てくださった。


その1時間前に、遠藤利明先生とも電話で話をし、「やっと今回の選挙で、保守合同が果たせたと思う。」と仰っていた。




今回の衆議院選挙で、吉村美栄子県知事の経済界の会長の平井ヤマコー会長が、遠藤寛明氏の選対本部長に就く。


美栄子知事を応援していた経済界や商工界の主要なメンバーも、寛明氏の支援となった。


寛明氏は、とても素直で誠実で、相手を気遣う素晴らしい資質がある。


政治家は、人間力だと、彼の未来に期待しか感じられない。


松下電器の創業者である松下幸之助翁が大切にしたのは、「素直な心」である。


物事の実相をありのままに受け止め、自分を飾らずに表現する。


人の悪口よりも、感謝の言葉を口にする。



少子高齢化が進む山形。

遠藤寛明氏には、そんな地方都市の魅力を最大限に引き出し、素晴らしい未来を築き上げてほしい。


山形県に脈々と続いてきた、先人たちの「坂の上の雲」を引き継ぎ、次世代を託したいと思うのである。