2024年10月1日、ダイバーシティメディアは開局30周年を迎えた。
1992年の9月に、ダイバーシティメディアの前身であるケーブルテレビ山形が誕生し、その2年後の1994年10月1日に開局し、放送を開始した。
当時は衛星元年と言われ、BS放送やCS放送が始まり、新たな多チャンネル、専門チャンネルの時代が到来し、それの受信拠点として、ケーブルテレビ局が全国各地に数多く誕生したのである。
ケーブルテレビ山形は、開局以来、「小さいけれど、されど尊い物語」をテーマに、自分たちが暮らす山形の街に目を向け取材をし続けてきた。
首都圏のキー局が流す全国ニュースとは一線を画し、日常の中で普段は見過ごしがちな、当たり前だけどもとても大切な街の宝物を見つけるのが、ケーブルテレビ局の存在意義と言っていい。
また、四季鮮やかな山形の季節の物語りや、子どもからご高齢者までの人々の息吹を伝えてきた。
そんな30年であったと思う。
10月25日(金)、ダイバーシティメディアのロビーで、『開局30周年記念特番「小さいけれど、されど尊い物語」』の収録を行う。
9月11日と12日の両日、台本とシナリオ作成。
9月20日、コーナー番組のスタジオ収録。
10月21日にVTRチェックをして、翌22日に台本とシナリオ作成。
台本とシナリオ書きは、通常の仕事が終わってからの夜だった為、アシスタントディレクターの伊藤浩部長、國井真理次長には、遅くまでサポートしてもらった。
自分にとっては、番組構成、台本作成など、10年ぶりのディレクターだったが、少しずつ感覚が戻ってきたのである。
15年前、50歳までは、ほぼ毎日、1日の仕事の最後は、スタジオや編集室にこもり、番組を作っていた。
周囲の制作メンバーも大変だったと思う。
制作現場は、目まぐるしく、総合的なマネジメントのフィールドであるが、楽しくやりがいがあった。
やはり現場が好きである。
番組を作るのが好きなんだなぁと、再認識できた。
総合MCの鈴木淳予アナウンサー、山田夕美子アナウンサーは、20年近くトーク番組やバイキングステーションを担当してくれた。
佐藤俊介アナウンサーは、入社一年目で、既に山形ワイヴァンズのホーム戦の試合実況なども受け持つやり手である。
9月20日の収録時には、往年の伝説のキャスターと言われた鈴木(現在は中谷)まり子アナウンサーや井上(現在は高田)知早子アナウンサーがスタジオ入りして、市民チャンネルの30年間を振り返ってくれた。
話がとても面白く、皆さん久しぶりのテレビ収録なのに、生き生きしており輝いていたのだ。
また、「LOVE&PEACE HOUSE」のコーナーにも、当時のMC陣が勢揃い。
加藤由美さん、水口牛さん、早乙女信也さんが、スタジオ入りしてくれた。
トーク番組のコーナーには、コメンテーターだった端山貢明先生の語録や、石川敬義先生が登場する。
懐かしく、思い出が溢れる。
その他にも、「隼人組」や「聞かせて昔のこと」など、10,000本の番組の中から、ほんの僅かではあるが、思い出の番組をご紹介する。
ある意味では、市民チャンネルの同窓会的な番組でもあり、打ち上げはとても楽しかったのだ。
10月28日(月)に、編集を行う。
定永洋一テクニカルディレクターが中心となってMIXなどの作業をこなしてくれた。
過去、現在、未来と、時間の連続の中に自分達は生きている。
亡くなった方々もいるし、生まれてくる命もある。
大切なのは、日常の中にある、小さいけれども尊い物語。
願いや希望の光を、喜びや幸せの物語を、しっかり捕まえて番組にできればと思う。
開局30周年記念特別番組
〜小さいけれど、されど尊い物語〜
【放送日時】
(毎日)10:00~、深夜2:00~
(11/23、24、30を除く毎日)19:00~
是非、ご覧ください。
収録を終えて空を見上げる。
そこには、爽やかな青空が見えた。
まだまだ物語は続く。
いや続けなければならない。
そう思ったのである。