令和6年5月26日(日)、山形市のパレスグランデールにて、山形県内では歴史に残ると思われる大葬儀が行われた。


贈 大本山永平寺監院

長源寺三十一世重興

慈眼寺二十五世

泰心正憲大和尚の本葬荼毘式である。




葦原正憲大和尚が遷化されたのは、昨年の令和5年5月5日。

長源寺で密葬が行われたのは、同年の5月16日であった。


それから約一年が経ったこの日、1000人を超える檀信徒や各寺院のご住職の見守る中、長源寺の役員である佐藤允昭氏の開式の辞により、本葬儀が緊張の中、厳粛に始まったのである。


多くの曹洞宗の重役の老師達が上殿され、仏事を唱えられた。


大本山永平寺貫首 南澤道人 不老閣猊下が入場された途端、会場の空気が浄化した様に感じた。


その存在感たるや、まさに仏の様な御光が放たれていたのである。


参列された数百人のご住職が一斉に唱えられた法語は、心の奥底まで染み入る迫力があった。


この日、葬儀に参列した方々は、97歳になられる不老閣老師の御尊顔に拝したこと自体、奇跡的な出来事であったに違いない。


少なくとも、この山形の地にいらしてくださった奇跡と、そのご縁を繋がれている葦原正憲ご住職の存在が、改めて凄い重力であると感じたのである。


ご子息の葦原憲義ご住職の、この一年に渡る細やかなご準備には、頭が下がる思いがある。




山形県の曹洞宗のお寺が、この日は空っぽになったと言うくらい、ほとんどの御住職が早朝より集まり、葬儀の準備をされていた。




長源寺の檀家役員にとっては、何度も打ち合わせを重ね、この日の役割を果たすべく準備をしてきた。


金山知裕総代は葬儀委員長として葬儀謝辞を行い、柴田一夫葬儀副委員長として素晴らしい弔辞を読まれた。

佐藤充昭役員は開式の辞を、自分も閉式の辞を承り、長谷川和義役員は出喪行列の世話係、逸見良昭役員は受付を取り仕切る。




弔辞は、服部秀世老師、荒澤義範老師、齋藤裕道老師、ニノ戸亮昌老師、岡田道雄老師に引き続き、吉村美栄子氏が檀信徒を代表して遺影の前に立たれた。


生前のご功績を讃えたのはもちろんだが、本人の悲しみに寄り添ってくれた葦原ご住職へ、心より感謝と御礼を申し上げておられた。




読経、献花に続き、大本山永平寺貫首 南澤道人 不老閣老師のお言葉を賜った。


老師のお一つお一つのお言葉に、会場にいる約1000人の参列者が耳を傾け、次第に心が温かく癒されていくのを感じたのである。




最後に遺弟謝辞として、喪主である葦原憲義ご住職より、丁寧で摂理ある文脈で、参列された方々への感謝の思いを綴られておられた。




自分は、閉式の辞の役割を賜り、鹿野道彦農林水産大臣や父・吉村和夫前山形市長との絆に触れ、ダイバーシティメディア(旧ケーブルテレビ山形)設立以来の監査役としてその礎を作っていただいたことへの感謝を申し上げた。

さらには、東日本大震災の折、1000年後の安寧を願い「被災地に届けたいお地蔵さんプロジェクト」を立ち上げ、人々の悠久の幸せを願った方であり、その溢れるばかりの愛情に、感謝と御礼を申し上げ、お別れとさせていただいたのである。




長源寺には、400年前の開基 鳥居忠政公や、戊辰戦争で最後の山形藩の26歳の首席家老 水野三郎右衛門元宣公が眠っておられる。


自分の父も、吉村本家の祖父母、伯父と伯母、従兄弟も眠っている。


そんな歴史ある素晴らしいご寺院に、ご縁をいただいたことが、とてもありがたいと改めて思った大葬儀であった。


それ以上に、父にも自分にも、いつも相談に乗ってくださり、温かく見守ってくださった葦原正憲ご住職との出会いこそが、何よりも嬉しく幸せなことであったのである。


(尚、文中の会場内での写真は、ダイバーシティメディアが撮影したものを使用しています)


万感の想いを胸に、衷心より感謝と御礼を申し上げます。