5月10日(金)の植木市最終日。


毎年伺っている薬師町の植木市に、秘書広報室のメンバーと一緒に訪れる。


昨年の植木祭りは、コロナ明けもあってか、驚くほどの賑わいであり、人が溢れている状態であった。




今年は、昨年の最終日の夜とは違い、同じ最終日でも日中だったので、そこまでではなかったが、出店の方々の話を聞くと、夜は歩くのが困難なぐらい混み出すとのこと。


この街のすぐ側で、中学生まで過ごした自分としては、とても嬉しく思えたのである。




新築西通りから祭りの道に入り進んでいくと、山辺町の皆さんから声をかけられる。


「ワイヴァンズ頑張ってるなぁ!」と、山辺町の神保稔議長。

ずっと木工細工を作られているようで、ここでも毎年店を出しているとのこと。


竹で作った木の照明を、縁起物としてワイヴァンズへいただく。




天気も良く、爽やかな風が吹き清々しい。




お薬師様の境内に入ると、山形商工会議所の皆さんがいらした。


この春で退任された、岩田雅史前専務と話す。

バーチャルシティやまがたの監査役や、ダイバーシティメディアの放送番組審議委員をしていただいている。




お薬師様の前には、参拝の列ができており、しばらく並んで手を合わせる。




薬師堂の隣にあるのが、村山食品の屋台があり、中で煮込みを食べる。


店内には昭和の演歌がかかり、懐かしい雰囲気の中、美味しいモツ煮込みをいただく。


昭和40年代、父や母と訪れた薬師祭を思い出す。




今年も、「おばけ屋敷」の前には人だかりができていた。


やはり、何十年経っても、人気である。


50年前は、「おばけ屋敷」の他に、「ヘビ女」「牛女」「曲芸バイク」「サーカス」「猿回し」など、(人権や差別などの観点から)今では観ることが無くなったが、多くの催し小屋が並び、大勢の人々が詰めかけ活況だった。




当時は、植木市と言いながらも、お薬師様のお祭りが大人気で魅力的なだけに、そちらがメインだった。


その後、成人してからは、木や苗木、鉢植えなどを買って来て、庭などに植えた。


今年は、植木の店が、だいぶ少なくなって来ていると感じた。




お土産に、焼きそばや広島焼きなどを購入し、約1時間の植木市散策を終えたのである。


季節の歳時記である、山形市の植木市と薬師祭。


50年経っても、多くの人々で賑わう。

いつまでも、そうあって欲しいと願うのは、自分だけではないと思う。


年々歳々、花相似たり。

歳々年々、人同じからず。