4月26日(金)、鎌倉に住む自分の一つ下の従姉妹である紀子さんが、自宅にきてくれた。


お会いしたのは、一昨年の5月5日の長男の結婚式以来である。




彼女は、自分とは最も仲の良い従姉妹である。


誕生日も、ほぼ1年の違い。

自分より約1年遅れて産まれて来たのだ。


父が国会議員(鹿野彦吉氏)の秘書として、母と暮らしていた場所が、東京都世田谷区三軒茶屋。

自分は、三軒茶屋産婦人科で産まれた。


その隣町の世田谷区若林の一軒家に住んでいたのが、父のすぐ上の姉夫妻であり、そこの次女が紀子さんだった。


父は、母と自分が山形に戻ってきてからも、若林に数年間住み、霞ヶ関に通っていたのだ。


小中学生の春休みか夏休みは、必ず、若林の家に遊びに行っていた。

大学生の時は、家庭料理が食べたい時は、伯母さんから、美味しい料理を食べさせてもらった。


大好きだった若林の家族たち。


伯父が亡くなり、伯母が亡くなり、長女も亡くなり、今では一軒家も賃貸アパートに建て替えたとのこと。


寂しさが募るが、そんな中、たまにお会いする紀子さんとの会話は、昔を思い出し、とても懐かしくも心地良い、貴重な時間なのである。


吉村一族の親の世代では、唯一の生き残りである母を気にかけてくれて、紀子さんは手紙や鎌倉の名物などを送ってくれていた。


今回も、施設にいる母に、花を届けてくれたのだ。


感謝である。


「秋ごろ、従姉妹会をしようね!」と約束して、彼女は鎌倉まで自家用車を運転して帰って行ったのである。