大相撲の元横綱の曙さんとお会いしたのは、2014年の夏だった。


その後、約1年間、とても濃い時間を共に過ごさせていただいた。



あれから10年。

2024年4月11日(木)朝、曙さんの訃報のニュースは、全国を駆け巡った。


闘病生活を送られていたことは知っていたが、回復されると思っていたので、残念でならない。


曙さんの御霊に、哀悼の誠を捧げると共に、ご冥福をお祈り申し上げたい。




優しい心根を持つ努力の人であった。


一方で、注意深く周囲を見つめ、誰が味方かを判断されていた繊細な人でもあった。


自分がこの国に根を張り、居場所を作りたいと心底願っておられたのだろう。




2014年7月2日、山形市のホテルキャスル。


全日本プロレスの実質的な後継団体となる新団体の設立記者会見の場である。


会場には、全日本プロレスを6月末で退団した選手及びスタッフのほぼ全員が集まった。


これまでの経緯説明会も兼ねたのである。


新会社の名称は、全日本プロレスイノベーション。

秋山凖選手が社長、諏訪魔選手が専務に就任し、自分が会長に就く。


新会社の取締役候補者達が、場所を移して詳細を詰めようとして移動しようとした時、曙選手が自分に声をかけてこられた。


「何処に行くのですか?」

「そのメンバーには自分は入れないのか?」


曙選手は、「取締役に自分も入り、新団体の中核に参加したい。是非、検討して欲しい!」と言うことだった。


これが曙選手との初めての会話であり、後で分かるのだが、彼のとても大切な願いでもあったのだ。




その2日後の7月4日、ジャイアント馬場婦人である馬場元子さんも加わり、全日本プロレスイノベーションの完全子会社であるオールジャパン・プロレスリングの設立記者会見が、東京で行われた。




この数年前から、馬場元子さん、武藤敬司前社長、秋山選手、諏訪魔選手が、何度も山形に来られ、全日本プロレスの後継団体設立の為の協力依頼をされていた。


特に馬場元子さんの熱意は凄く、ジャイアント馬場さんの追っていた夢や志しを、しっかり選手たちに手渡したかったと感じた。


そんな思いに賛同したメンバーが集まり、この時より、秋山準・諏訪魔体制が始まった。




その新団体に、曙さんは取締役として参加したのである。


何度もお会いし、夜中まで話す中で、相撲時代の話もよく聞いた。


親方である高見山関は、とても厳しくもあり、相撲界で生き抜く力を教えてくださったと感謝の思いを語られていた。


いずれは自分が親方になり、相撲界に根を張って後進を育てて行きたいと思っていた曙関だったが、当時の相撲界ではそれは叶わないことだと話していた。


そんな体験をしたからこそ、全日本イノベーションを設立した際には、自分も経営陣として参加して、自分の拠点を作り根を張りたいとの思いがあったのである。




試合を自分が観戦すると、試合後には必ず気を遣ってくれた曙さん。


自分たちは、いつも「横綱!」と呼んでいた。


彼は、笑顔で応え、あっという間に周囲を引き込む魅力があった。





息子さんがアメリカンスクールでバスケットボールをしているとお聞きし、設立まもないパスラボ山形ワイヴァンズへ、アスリートとしてのアドバイスに来てくださったこともある。


現在の石川HCが現役時代で、藤岡昂希選手や高橋祐二選手がいた頃である。


「自分が何故、横綱になれたのか?」というテーマで、選手たちに話してくれた。


親方からは、当時の若貴兄弟より練習しなければ、横綱にはなれないと言われ、早朝から夜遅くまで、誰よりも練習を積んだとのこと。


けれども、自分が午前4時に起きて練習しようとすると、既に若貴は練習を初めていたそうである。

そんな、朝起き合戦のような日々を繰り返していくうちに、いつしか横綱になったとのこと。


その結果、大相撲の一大ブームが起き、若乃花、貴ノ花、曙と3横綱時代が到来したのだ。


その後の、格闘家人生は、曙さんからすれば、生きる場所を見つける挑戦の日々だったのだろう。




全日本プロレスの取締役会でも、意見を言ったり質問をしたり、とても真面目だった。


ある時は、一生懸命のあまり、夢中になり過ぎて、机を叩く場面もあった。


これまで経験したことがない会議に、馴染もうとする姿が記憶に残っている。




山形新聞、山形放送にご挨拶に伺ったり、当時のケーブルテレビ山形のスタジオで収録したり、新生全日本プロレスの普及の為に、当時は必死だったのを覚えている。




日本一になった経験と存在感は他を圧倒していたし、その様な人物と出会い共に歩んだ歴史は、自分の大切な財産となっている。


今、全日本プロレスは、福田剛紀社長が担い、様々なチャレンジを行っている。


更なる飛躍を願いたい。


そして、曙太郎さんの御霊が、安らかな眠りにつくことを、心より祈りたい。


合掌。