3月18日(月)、里之宮 湯殿山神社 令和六年の三大祭の一つである、 「春まつり 祈年祭」が行われた。




祈年祭とは、春の耕作始めにあたり、五穀豊穣を祈るお祭りであり、「としごいのまつり」とも呼ばれる。


稲の育成周期が、日本人の一年とされ、その一年を春に願う。




麗らかな春3月のはずが、朝から珍しく雪が降っていた。


山形県内の小中学校では、今日が卒業式の学校が多く、まさに巣立ちの日であるのだ。





この日は、一般の方々も参内する5月18日の例大祭を前に、湯殿山神社の責任役員、氏子総代、運営委員の方々に加えて、奉賛会と県議・市議の来賓の方が参列する。


神職の浄界特級にあられる澁谷宣寛宮司の、力強く清々しい祝詞奏上に続き、神楽の舞、玉串奉奠が行われる。




春まつりに続き、三階参集殿にて直会が行われる。


1月の市神様のお祭りでは、株の味噌汁が振る舞われたが、この日の春まつりでは、お赤飯とニラ玉汁が振る舞われた。


亀松閣の弁当も、3月の桃の節句を感じさせてくれる。


澁谷宮司より、里之宮湯殿山神社は、山形県の初代県令である三島通庸氏が、着任時に山形県の鎮守として創建したのが始まりであり、2年後には、創建150年祭を企画している旨の話があった。




自分は奉賛会会長として、お祝いの言葉を述べる。


この場に立てる喜び、さらには150年祭へ臨める光栄について、話をさせていただく。




この日は、県議会関係会議や小中学校の卒業式があり、県議市議の出席はごく僅かであったが、議員を代表して、渡辺元市議が乾杯の音頭をとる。


弟の吉村和武県議の代理で、妻の修子が参加していた。




冬に逆戻りの間もあるが、春は確実にそこまで来ている。


ロシア・ウクライナ戦争。

イスラエルとパレスチナ紛争。

緊迫するアジアの各国の関係。

異常気象や突然の災害。

国内政治も混乱状態。

物価高などで市民生活は不安多し。


そんな時だからこそ、心の拠り所の「神社」の、存在意義が高まっているように思うのである。