2月27日(火)の夕方、チーム関係者より、山形ワイヴァンズのメディカルトレーナーである矢萩裕先生が、急逝されたとの一報が入る。


あまりにも突然であり、驚きと同時に信じられない気持ちで、関係各所に連絡を取る。


その数時間後、娘さんが矢萩先生のFacebookに、矢萩先生の訃報を載せられ、残念ながら事実であると認識する。


翌28日(水)、山形交響楽団の理事会に出席し、そのまま通夜会場となるセレモニーホール霞城へ伺う。


静かに眠っておられる矢萩先生へ、哀悼の誠を捧げ、悔しさと悲しみが去来する中、これまでの感謝と御礼を申し上げる。


奥様と、矢萩先生のお父上と話をさせていただくが、残念無念であった。


ご家族の悲しみはいかばかりかと拝察する。




矢萩先生は、パスラボ山形ワイヴァンズが設立され、Bリーグが開幕するのに合わせてメディカルトレーナーに就任し、選手たちのケガや故障のケアを行なってくださっていた。




いつも明るく、周囲に元気を与えてくれる一方、とても真面目で誠実な方で、何時でも選手に寄り添ってくれた。


また、選手にとどまらず、若きトレーナーやチームスタッフにも目を配ってくださっていた。




山形ワイヴァンズの選手たちは、先週末の土日に開催された越谷戦に、左肩に喪章をつけて試合に臨んだ。


それだけに、絶対勝ちたい試合であったが、日曜日の試合では、強豪越谷アルファーズから勝利することができたのである。


皆が、思った…。

天国の矢萩先生へ、勝利を届けたい!…と。





山形ワイヴァンズは、今年で創設10周年を迎える。


その間、矢萩先生からは、ほとんどの選手たちがお世話になった。


葬儀会場には、鹿児島県から中島良史選手も駆けつけていたし、選手やチームスタッフのOBからも弔意が届けられていた。




パスラボの社長とトレーナーとの関係以外でも、自分と矢萩先生は繋がりがあり、自分が会長を務める山形市エアロビック協会でも、理事をしていただいていた。


山形県エアロビック協会の皆川清彦理事長とも、山形市エアロビック協会の東海林美佐江理事長とも、矢萩先生のご逝去の件では、共に悼み哀悼の意を表す。




いつも笑顔で、誰からも愛された矢萩先生。

困ったことや頼まれごとは、なんでも引き受けてくれた矢萩先生。

これまでありがとうございました。


また、山形ワイヴァンズへのお支えに、重ねて心より御礼を申し上げ、お別れの言葉とさせていただきます。


パスラボ山形ワイヴァンズ

代表取締役社長

吉村和文