先日、東映エージェンシーの村松秀信社長が来社された。


村松社長とは15年近く、様々な映画普及の為のチャレンジを行ってきた。


2008年には、八文字屋書店と映画館のムービーオンが共存している、カルチャーコンプレックスのムービーオンやまがたがオープンする。


オープン記念作品の「山桜」では、篠原哲雄監督並びに東山紀之さんと田中麗奈さんが来県なされ、舞台挨拶をされた。


それ以来、ムービーオンでのキャンペーン及び舞台挨拶は、100回を超える。


その中で37作品が東映配給作品で、内33作品が村松氏が東映の営業部長に就任してからのものである。


忘れられない思い出は2011年、なんと言っても映画「小川の辺」の同映画館での1日20回の舞台挨拶。


篠原監督と東山紀之さんのお二人は、それをやり抜いたのである。


その他にも、山形県民会館ホールでの2回にわたる吉永小百合さんの「北のカナリアたち」の舞台挨拶で、2,000人×2回の上映会チケットを完売したのだ。


また、YMF山形国際ムービーフェスティバルには毎年参加いただき、参加者にへ熱いメッセージを送ってくださる。




映画界の、右も左も分からなかった自分に対して、多くのことを教えていただいた、数少ない「かけがえのない」友である。


今年になって、改めて再会できることができて、とても嬉しく思う。


現在は、東映エージェンシーの社長として、新たな事へチャレンジされている。


ご活躍を期待したい。




(2009年の真夏の花笠祭り夜の写真。当時の写真で画質が粗い)


村松社長と初めてお会いしたのが2009年8月。

今は東映の映画企画部部長の柳迫氏とご一緒される。


皆で焼肉「丸源」に行ったのを覚えている。




(2014年の当時、ムービーオンヘご来場いただいた、東宝の千田諭副社長と池田隆之営業部長)


自分にとっては、東映の岡田裕介社長と、東宝の千田諭副社長が、この世界の大親分であった。


シネコンを建築する際も、多くの相談をさせていただいた。

MX4Dの導入や、観客の導線についても、多くのアドバイスをいただいたのである。


さらには、夜の懇親会の席では、様々な映画界の歴史や、文化的伝統なども教えていただいた。


何よりも、「映画館」の存在理由が何なのかを教わったのである。


岡田会長が2020年に突然亡くなられ、千田諭副社長がTOHOシネマズに移られてからは、あの頃の映画界の草創期のお話やフィロソフィーを伺えなくなった。


とても、寂しい限りである。




昨日の1月25日は自分の誕生日であるが、村松社長より花が届いた。


毎年の心遣いに感謝しかない。


村松社長と生まれた年は、一つ違いである。


映画界は、今、変革の時を迎えている。


同世代を生きる仲間として、「温故知新」や「不易と流行」を再認識し、過去からの伝統は大切にしながらも、新しい風を読み取っていこうと話し合ったのであった。