12月21日(木)、仙台89ERSの志村雄彦社長が、パスラボの事務所があるダイバーシティメディアに来社された。


その前日の水曜日、仙台89ERSは茨城ロボッツから勝利し、山形ワイヴァンズは青森ワッツから勝利する。


B1とB2の違うカテゴリーであるが、この日の最初の挨拶は、お互いに「おめでとうございます!」から入ったのだ。




志村社長は、仙台89ERSの選手からフロント入りし、その後しばらくして代表取締役社長に就任された。


自分より20歳も若い社長であるが、先日は霞ヶ関キャピタルとの資本提携が行われ、スポーツ界のビッグニュースとして全国を沸かせたのだ。


現役時代はポイントガードとして大活躍し、生涯の3ポイントシュート確率は、38%を超えている。

「プロバスケットボール選手として、すべてやり切りました!」と楽しそうに笑う。


慶應大学出身の秀才であり、情熱は選手時代からずば抜けていた。




山形県をこよなく愛し、1年の間に何度も訪れてくれるのだ。


自分のルーツは、母親が宮城県牡鹿郡女川町出島である為、半分は宮城県のDNAであり、母の実家が所有する仙台市上杉の家もあり、母たちは若い頃、兄弟とそこに住んでいたそう。


そんなこともあり、年齢は離れているが、志村社長と自分は、とても親しい間柄である。


この日は、自分の他に、パスラボの渡辺聡専務、宮田英治常務、佐藤洋一GMが打ち合わせに参加し、その後、みんなで「べろきん」の焼肉で、エネルギーを補給したのだ。




ホルモンを焼いた時、火の勢いが強く、炎が大きくなる。


「山形寒いっす!」と、志村社長が笑いを取る。

洋一GMも、一緒に暖を取っていた。




昨年の8月初旬、実は山形新聞の企画で、「仙山交流」をテーマに、仙台89ERSとパスラボ山形ワイヴァンズの両社長の座談会が組まれた。


昨年、新聞に大きく特集記事として取り上げられたが、志村社長は山形の培ってきた「歴史、文化、食」などが素晴らしく、とても素敵な財産と話されていた。


自分は、山形が東京や大阪を目指す必要はなく、山形は、東京にとっての横浜や、大阪にとっての京都を目指すべきだと話した。


その地方の入口に当たるファーストシティではなく、そこから1時間で行ける食事や宿泊ができる目的地になるべきなのである。




間違いなく、仙台89ERSは、東地区で最も早いプレミアリーグに名乗りを上げるだろう。


その先輩クラブの動向を見ながら、また、アドバイスを受けながら、いずれパスラボ山形ワイヴァンズも、その機会を見据えながら、努力を重ねていきたいと思うのである。


志村社長、また、お会いしましょう!


そして、お互い、プレーオフを目指して、頑張って行く所存である。


いろいろ、ご教授いただき、ありがとうございました。