11月24日・25日の2日間、パスラボ山形ワイヴァンズの試合が米沢市で開催された為に、会場の近くに泊まることにした。


試合前に伺ったのが、上杉神社である。




吉村家の先祖は、上杉藩に仕えた屯田兵。


川西町の玉庭を任され、その地区の屯田兵のまとめ役で、代々「吉村栄四郎」と襲名し、祖父の代で「吉村萬五郎」となり玉庭を出て山形市に引っ越し山形警察署長となる。

その子に男子二人あり、その長男が吉村敏夫(吉村美栄子知事の義父)と、次男が吉村和夫(自分の父で元山形市長)であった。


会津から米沢、そして玉庭というルートと、越後から村上、そして玉庭というルートがあるらしいが、諸説あるようだ。


敏夫伯父が言うには、「玉庭の家は、床の間がひっくり返り、裏に隠れ部屋があり、もしもの時に殿様を隠す」と、萬五郎氏から聞いていたそうだ。


どちらにせよ、上杉家に仕えた家臣の末裔であったらしい。




11月25日(日)は、朝から雪。


先祖からは怒られるかもしれないが、この日、初めて上杉神社をお参りしたのだ。




上杉謙信公に手を合わせる。




雪の薄化粧の上杉伯爵邸は、とても美しかった。




伊達政宗生誕の地。


独眼竜政宗は、山形藩主の最上義光の妹の息子で、米沢生まれ。

その後、仙台藩の初代藩主となる。




アメリカ大統領のジョン・F・ケネディが、最も尊敬したリーダーが、上杉鷹山公である。


改革、殖産、地域振興などに取り組み、当時としては珍しい、常に領民の生命を守るという信条を持ち、一方で、発達障害があった奥方に生涯寄り添った名君である。


「為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」は、今でも道を照らす言葉である。




お守りを購入する。


紫で龍。

まるでワイヴァンズの御守りだと思った。

毘沙門天…武の神。


毎試合、持ち歩くと決めた。