伝説のライブハウス「ヒットパレード」のオーナーであった、マー坊ことチャーリー多勢さんが逝去されて3年が経つ。


彼が、最後に身を寄せて音楽活動をしていたのが、ベティちゃんが経営する「ペペルモコ」であった。


しかし、この3年の間に、「ペペルモコ」があったシネマ通りの四角のビルは失くなっていた。


コロナ禍もあり、お客様の接待や祝賀会などの会合以外には、夜の街に行くことは少なくなっていたので、「ペペルモコ」等にはほとんど行っていなかった。


しかし、頭の片隅には、「ペペルモコは何処に行ったんだろう?」「ベティちゃんはどうしているんだろう?」との思いが、いつも残っていた。


諸行無常。


山形市の中心商店街の再開発により、「ヒットパレード」があった王城ビルは取り壊され、あの頃の思い出は記憶の中にしかない。




そんな中、11月22日(水)の夜、ダイバーシティメディアの音響スタッフに加わった石川達也氏の歓迎会を行った際に、「ヒットパレード」や「ペペルモコ」の話になり、皆が持っている情報を出し合った結果、「長源寺通りにあるらしい。」ということになった。




一次会の「グランロック」で夕食を取った後、皆で長源寺通りを歩く。


「わらべ」より少し北に進むと、見慣れた看板が見えた。


「ペペルモコ」


「やっぱり、ここだ!」と笹原氏が言う。

自分は扉を開けようとしたら、鍵がかかっている。


「こんばんわ!」「誰かいますか?」

「ベティちゃんいる?」と、扉をガチャガチャしながら声をかける。




「はーい!」と、扉を開けたのは、やっぱりベティちゃんだった。


「ごめん、片付けしていた。バダバタして、荷物も置きっぱなしで…。」などと言いながら、「入って!入って!」と、皆がなだれ込む。




店の中を見渡し、皆、絶句した。


マー坊の写真が、壁や棚に飾られていた。

マー坊のお母さんの写真まで。

当時のヒットパレードの写真を見て、達也氏は感激していた。


確かに、部屋の中は、昨年夏に引っ越してきたわりには、まったく片付いていなかったが、ベティちゃんの愛情こもった思いで、とっても温かかったのである。


裏から、「いらっしゃい!」と、今にもマー坊が出てきそうな空間であった。




ヒットパレードで、最後まで、マー坊と一緒に歌っていたのが、達也氏とベティちゃんである。


2人が歌う。


まるで、20年前にタイムリープしたような感覚になった。


とても癒されたのは、言うまでもない。






(写真は、ちょうど1年前に、ヴァルハラへダイバーシティメディアのメンバーと伺った時)


20年前、ヒットパレードで、マー坊の隣でギターを弾いていた達也氏と出会う。


世代は違うし、BOOWYやB'zが好きなのに、マー坊や自分達に合わせてロックンロールを弾いてくれる達也氏に好感を持ったのが始まりである。


ギターを弾く姿も凛々しく、話しても長幼の序をわきまえ、若いのに礼節がある人間だと感じた。


その後、達也氏は、いろいろなライブハウスで歌い、最後は、リモージュビルに「ヴァルハラ」と言うライブハウスをオープンした。


コロナ禍の大逆風でのオープンは、言わずもがなの大苦戦。


歌うことが大好きなだけに、人生の半分での軌道修正は大変な葛藤があっただろうが、この度、ダイバーシティメディアの音響・制作スタッフとして参加してもらったのである。


自分の尊敬する友人に、放送作家の小山薫堂さんがいる。


彼は、50歳を人生のハーフタイムと捉える。


そう考えると、人生の後半戦は、新たなチャレンジをするのも良いのかもしれない。


いつの日か、達也氏には、映画祭だけではなく、音楽祭やミュージックフェスティバルなどを、是非、企画・運営してもらいたいものである。


物語の新章は、今、始まったばかりなのだ。