10月17日(火)、パレスグランデールで、山形日産グループの小関眞一社長のご令嬢の友栄さんのご結婚披露宴が行われた。




友栄さんは、小関眞一さんの三姉妹の長女として生まれ、幼い頃は、お父さんが運転する車に家族皆が乗り、ドライブ旅行に行っていたのが良い思い出とのこと。


小関眞一さんは、「車は団欒」と車の楽しさを語っておられた。




結婚披露宴会場について驚いたのは、お客様が通るコリドールの両側には、日産の自動車の写真が壁に貼られ、反対側には、新婦のウエディングドレスの写真などが飾られていた。


とても素敵な披露宴になる予感を、醸し出されていた演出である。




小関家と太田家の御両家を代表して、小関眞一さんが挨拶に立つ。


長女の友栄さんを、小関社長並びに山形日産グループの後継者として、東京の日産販売店に出向させ修行させたことや、その時知り合った太田一聖さんが、お婿さんとして山形に来てくれることなど、その経緯を話される。


合わせて、この結婚披露宴まで紡いだご縁や、多くの方々への感謝の気持ちを述べられていた。



自分が小関さんと初めてお会いしたのが、今から32年前、ケーブルテレビ山形を設立する為に、山形日産に相談に伺った時である。


当時、自分は31歳、小関さんは33歳。


初めてお会いし、「ケーブルテレビ局を山形に作りたい」という思いだけを一方的に伝えた自分に対し、小関さんは包み込むように話を聞いてくださり、「ケーブルテレビ、おもしろいなっ!」と理解を示してくださり、最終的には創業株主の一人となってくださった。


亡き小関善久会長と自分の父の吉村和夫は、とても仲が良かった。

それも背景にあったかもしれないが、自分は、初めて会話をした瞬間に、小関眞一という人が好きになったのであった。


それ以降は、ちょこちょこ、小関さんがいる、山形日産のショールームにお邪魔して、「眞ちゃん」「兄貴!」と言っては、お忙しい仕事中にお邪魔し、様々な話の中から多くを学び、あるいは笑い転げていたのを覚えている。


それからだいぶ経ち、2018年に、小関さんが全国自動車販売連合会会長に就任した時は、「ディーラーとして、日本一の頂点に立たれた!」と、嬉しく、感激したのであった。




この日の結婚披露宴は、山形日産グループの社員の皆さんが、これから歩んでいくお二人を、後押しする力と愛情が溢れていた。


合わせて、山形日産グループの一枚岩の団結力も、感じたのである。


そして、何よりも、新郎新婦の幸せいっぱいの笑顔が素晴らしかった。




東京から来られた日産自動車の本社の方や、東京日産販売の方など、日産グループの皆さんが、多く参加されていた。


日産自動車の話題の映画である「グランツーリスモ」について、あまりの感動話題作なので、日産自動車の神田昌明常務に話をさせていただいた。


PlayStationのゲームに没頭していた青年が、日産自動車のバックアップで、いつしか実際のル・マンに出場し表彰台に上がるという感動の実話の映画化。


日産関係者の皆さんは、是非、ご覧いただきたい。




銀行の各頭取、放送各局の社長各位など、山形県内の経済界の代表的な皆さんが参列されていた。


自分は、山形県内の自販連、車関係のトップの皆さんと同じテーブルであったが、ネッツトヨタの高橋修さんや三菱自動車の鈴木武浩さんから、自動車業界のことなどをご教授いただき、とてもありがたい時間となった。




山形という場所に覚悟を持って入ってこられ、2人で力を合わせて未来を拓く一聖さんと友栄さん。


2人の強い意志は、素晴らしいと思った。


そして、公私ともでの二人三脚、2人の未来が幸多からんことを祈らずにはいられないのだ。




最後に目元に光るモノがあった、小関眞一社長。


「兄貴、涙光ってたっす!」と自分。

「俺も鋼鉄の男でないから…」と小関さん。

「優しいところがあるんですよ。」と奥さん。


こちらも、素晴らしいご夫妻である。




5年前の、全国自販連会長の就任祝賀会にて。


今も変わらず、とっても素敵なお二人である。


新郎新婦も、ご両親を目標に、笑い溢れる家庭を作ってほしい。


ご結婚、おめでとうございます☆